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日本人派遣ボランティア インタビュー/報告

2005年01月掲載

臼井律郎(外科医)

2004年12月28日から2005年1月8日まで東部のバティカロアで活動。
(インタビューは1月中旬に実施。)

Q1:今回の派遣先は?
スリランカ東岸のバティカロアという町です。周辺地区を合わせて人口は約50万人です。
Q2:派遣の目的は何ですか?
状況についての精密な調査を行い、必要な場合には緊急援助を開始することでした。
Q3:実際に目にした現地の状況は?
海岸沿いの破壊の状況はひどく、場所によってはすべての家が跡形もなく流されていました。道路や橋も後半に破壊されており、また海水の流入によって井戸水が飲めなくなっていました。家を失った人たちは、学校や教会、あるいは野原にキャンプを設営していました。近隣の人たちをはじめ、コミュニティーや国、援助団体からの食料・水などの援助にたよって、被災者たちは生活していました。
Q4:なにが必要とされているのでしょうか?
多くの国際援助物資がすでに首都に到着しており、今後は限られたインフラを有効に活用してこれを輸送し、同時に遠隔地を含めたきめ細かな調査を行って、援助を必要としている人たちをくまなく把握して、もっとも必要とする人たちに必要な援助を継続して届けることが必要です。人口の移動はまだ続いており、状況の変化を遅滞なく調査することも重要です。これにより、必要とする人たちを把握し、同時に、感染症の発生や心理的援助など、今後新たな必要が生じた場合に素早く対応することが出来ます。
Q5:そこでMSFが実際に行っている援助はどのようなものですか?
もっとも緊急性が高いところでは、食料・テントなどの物資を配り、また津波で壊れた病院に応急処置をしたり移動診療車をだして、診療を開始しています。同時に厳密な調査を継続し、より正確な状況の把握に努めています。現在のところ、正確な情報を把握している機関が非常に少ないのが実状です。

今城大輔(アドミニストレーター)

2004年12月28日から2005年1月15日までコロンボで活動。
( 報告文は1月下旬に執筆。 )

今回、私はアドミニストレーターとして主に総務・財務管理・人事等の業務を担いました。津波発生から2日経過した12月28日の深夜、コロンボに到着しました。医療従事者や衛生管理技師らが被災地の沿岸部へと直行する中、初めのうちはコロンボに留まり、事務所の開設や新たに派遣されてきたボランティアの受け入れ、現場での活動資金の管理、交通・通信手段の確保等に従事しました。

緊急時の活動において重要な点の一つは、調査を進める中で医療・水・生活用品・住居といった様々な被災地の需要を地域ごとに出来るだけ早く正確に把握し、その上で必要な人材と物資を現地に送り届けることです。今回の活動では津波によって多くの道が閉ざされたために僻地へのアクセスが困難になり、悪路でも通用する車両を確保することが緊急に求められました。

また、今回の災害によって世界中から各国政府、国連機関、民間団体が集まり調査と援助活動に乗り出しましたが、被災情報が錯綜し、コロンボでも混乱状態が続きました。早い段階でMSFの活動を安定させるため、各チームの調整拠点となる事務所を開設し、通信手段を確保することも私の重要な任務でした。

派遣から約2週間後、私はコロンボでの立ち上げ作業を終え被災地のバティカロアに向かいました。沿岸の居住区域は津波の直撃を受け、おびただしい数の家屋が崩壊し多くの道が閉ざされていましたが、一部の地域では小学校の授業が再開しようともしていました。今、スリランカでは「緊急事態」から既に「復興」へと移行しつつある地域もあります。MSFでは今後も変化する現地の状況と需要にあわせ、適確な対応を続けていきます。

渡辺知(とも) (助産師)

2005年1月4日から15日まで東部トリンコマリーで活動。
(報告文は2月上旬に執筆。)

私はトリンコマリーにあるクッチャベリ地区での活動に参加しました。トリンコマリーは農業・漁業をおもな収入源とする、人口19万人の県です。津波による死者は推定1~3千人、避難民3~4千人とされています。MSFはクッチャベリ地区に散在した避難民キャンプでの基本的な情報収集、巡回診療、水の配布・衛生の管理、テントの配布、そして津波で被害を受けた地区病院の改修等の活動を行っていました。

スリランカの医療制度は良く整備されており、被害を受けなかった近隣病院からの増員や遠隔地への巡回医療なども着実に行われていました。多くのNGOや外国の軍隊が活動をしており、それらを調整する機能が不完全なこともあり、現場ではかなりの混乱に見舞われていました。

MSFが活動を受け持っていたクッチャベリ地区の病院にもインド海軍がやって来ました。最新鋭の機器をもって病院や井戸の清掃、大型自家発電による電気の供給(津波以前は病院には太陽電池による電灯のみ)をし、20人以上で構成される医療団で外来診療を開始しました。病院の表には「インド海軍救援キャンプ」と英語で書かれた大きな黄色の横断幕が掲げられました。MSFには、中立性を守るために軍隊とは協力をしない、という大原則があります。MSFは同日にその病院での活動を中止しました。

その後、MSFの活動は津波によるPTSD等への心理面のケアが重要であると判断し、チーム編成が変更されました。今回のスマトラ沖地震による津波では援助のあり方に関する様々な課題が示されたように感じられました。

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