MSF日本設立25周年:初代会長・現会長特別対談「応援してくださる皆さんの気持ちをフィールドに届けたい」

2017年10月31日掲載

初代会長・渡辺昌俊(左)と現会長・加藤寛幸 初代会長・渡辺昌俊(左)と現会長・加藤寛幸

この四半世紀、世界はルワンダの大虐殺、ボスニア紛争、エボラ出血熱流行など、幾多の人道危機に見舞われました。日本でも阪神淡路大震災や東日本大震災など、未曽有の大災害により多くの命が失われました。こうした中、国境なき医師団(MSF)、MSF日本が果たしてきた役割とは。そして、将来に向けた課題とは。MSF日本の初代会長を務めた渡辺昌俊氏(日本パスツール財団代表理事・常務理事)と、2003年からMSFに参加し、現会長を務める加藤寛幸医師が、MSF日本の来し方とこれからを語ります。

特集 MSF日本設立25周年

「絶対、日本で成し遂げるんだ」

――おふたりがMSFに関わられたきっかけは?

渡辺:1992年にドミニク・レギュイエ(初代MSF日本事務局長)という男がアタッシュケースひとつで日本にやってきて、MSFの日本事務所を作ると言ったとき、その社会的意義に賛同し、在日フランス商工会議所が支援を決定しました。当時私は仏系銀行の東京支店長をしており同会議所の役員も兼務していた縁でプロジェクトに招かれ、ドミニクに請われて会長になったのです。

私は60年代からフランスとその植民地であったベトナムで銀行員をしていました。ベトナム戦争中も約5年間現地に滞在し、そのひどい状況を目の当たりにしました。この体験が人道援助やMSFに関わろうと思った原点なのかもしれません。また私自身が体験した太平洋戦争の記憶とも無関係ではないと思います。

加藤:私は同じ1992年に医学部を卒業したのですが、研修先の病院に向かう日に、空港のロビーにあったテレビでMSFのことを知りました。詳しくは覚えていませんが、栄養失調の子どもと医療スタッフが映っていて、私が医師として目指す道はこれだと確信しました。その衝撃は今でも私の原点になっています。

――MSF日本設立当時の様子はいかがでしたか?

渡辺:設立当時のメンバーには「絶対日本で成し遂げるんだ」という強い意志がありました。当時、欧州の本部から1000万円の資金もらったら、それを1500万円にするにはどうすればよいか、またそれを2000万円にするにはという具合に、皆でどうすれば活動資金が集まるのか知恵を絞って考えました。MSFをなんとか日本で根付かせるために皆が一生懸命。そして欧州の本部が種まきの投資を惜しまなかったことは大事だったのだと思います。

加藤:研修医1年目の時に、当時まだ高田馬場にあったMSFのオフィスに初めて行きました。ドミニクにワインをご馳走になったことを覚えています(笑)。MSFに参加したくて、それ以来、オフィスには足しげく通いました。しかし当時は日本のNGOというよりはフランスの組織の出張所という雰囲気で、まだまだ日本に根付いた組織という印象はありませんでした。

渡辺:事務所の設立から3年くらいがたつと、皆の努力により、資金が集まるようになってきました。しかし、欧州の本部に主導権を握られた状態に次第に不満が出てきましたね。日本からの貢献は、資金集めだけじゃないはずだという気運が出てきました。

――日本事務所に次第に自主性が生まれてきた時期だったのですね。

渡辺:1999年、MSF日本は特定非営利活動法人(NPO法人)になりました。組織の運営や、資金の管理など、法人格が与えられたことでやりやすくなりました。私が会長職を創設メンバーの1人だった寺田朗子さんにバトンタッチしたのもこの年です。

そして1999年のノーベル平和賞受賞はMSFにとって大きな転機となりましたね。MSF日本もNPO法人になって大変成長した年だったと思います。私自身は2000年に65歳で銀行を定年退職し、それを機にMSFも離れました。

加藤:90年代後半、私はMSFへ応募するも何度も不合格を突きつけられており、援助活動したい気持ちが先走るばかりでうまくいかず葛藤していました。ノーベル平和賞受賞のときもMSFの一員になれていない自分が歯がゆかったですね。私がMSFで活動することを決意してから、実際に参加するまでには、実は10年ほどかかっています。医師になってから5年目に受けた面接では「語学力の不足」が理由で不合格となり、2度目は「臨床の力不足」という理由で不合格になりました。それぞれ、足りない部分を補うべく、オーストラリアの病院で修業したり、タイで熱帯医学を学んだりして2003年、ようやくMSFの医師として登録されました。

その年初めての派遣地であるスーダンに行くのですが、私が悶々としていた10年間に多くの人がMSFに参加していたので、私はMSF日本がフィールドに送り出した100番目の派遣となりました。また私はMSFが海外派遣スタッフに対して行う研修プログラム「Welcome Days」の1期生でした。当時はMSF日本が資金調達だけではなく、人材面でもMSFの活動に貢献していくという方向に舵を切ったまさに最初の年でした。

3.11から見えてきた課題と挑戦

――2011年、東日本大震災が発生。MSF日本が主導する初の活動を開始しましたが、当時どのようにお感じになりましたか?

東日本大震災で、宮城県南三陸町で活動するスタッフ 東日本大震災で、宮城県南三陸町で活動するスタッフ

渡辺:当時、日本の報道は諸外国では信用されず、フランスやドイツの見る目は大変厳しいものがあったと記憶しています。フランスはチャーター機でフランス人の日本からの出国を援助していましたけど、それにもかかわらずMSFがチームを日本に派遣したのはすごいと思いました。MSFを知っていた身としては、MSFが現地入りしたことが嬉しかったです。

加藤:私は希望して、東北に赴くMSFチームの一員となりました。日本の災害派遣医療チームや赤十字にならび、MSFが最初に現地入りした現場もあり、これまでの経験を日本で活かせることができました。ヘリコプターはなく、貸し切りタクシーで移動して、相手にされないこともありましたが、小さなチームが足で情報を集めてあの状況で活動し、それが機能したことが嬉しかったですね。なにより支援してくれた日本の皆さんの役に立てて、少しでも恩返しができたことが何より嬉しかったですね。

――国内で大震災などが起こると、日本は意識もお金も大きく動きます。一方、日本が平常時の世界の人道危機に対する関心はそう高くありません。

渡辺:私は日本とフランスの例しか知りませんが、フランス革命以来の伝統もあって、フランスはフィランソロピー(※)の意識がはるかに進んでいて、日本はまだまだ始まったばかりだと思います。MSFの仕事をしているということを親族や知人に言うと寄付を始めてくれる。「あいつがやっているなら」というのが日本の寄付社会で、それは人と人との信頼関係で生まれます。しかし、ニュースや資料を読んだだけではなかなか広がらない。「誰がやっているか」に依存している部分が大きいですね。

  • 企業や個人による社会貢献活動や寄付行為または博愛の精神

加藤:フランスでは家計簿のなかに社会貢献の支出項目があり、暮らしを切り詰めて、寄付をする文化があると聞いたことがあるのですが、そうなのでしょうか。

渡辺:はい。貧富に関係なく、人を助けたい、自分よりもっと苦しんでいる人を助けたいというフィランソロピーの意識が高いですね。最近は日本人の意識もどんどん変わってきているとは思いますが……。アメリカにはふるさと納税のような税控除の仕組みがあって、寄付の習慣も根付いているように思えます。日本でふるさと納税が普及した背景は……なんて言うと身も蓋も無いですが、意識の差は大きいと思います。

――社会制度の違いも影響しているのでしょうか?

加藤:社会の枠組みというのは重要ですね。社会貢献活動の支援という意味では日本の政治の取り組みは十分とは言えないかもしれません。しかし市民のほうも政治にそういったことを求めていかなければいけないとも思います。

渡辺:「企業の社会的責任(CSR)」という言葉があります。しかし日本では純粋な貢献ではなく何か見返りを求めるという期待が常にあるような気がします。そういう意識の面ではまだ遅れているのかもしれません。企業は利益を出しているなら、相応の社会貢献をすべきという考えはあると思いますし、CSR活動は基本的には損得勘定でやるものではないですね。

"民間"に支えられた力

――国際社会でMSFの役割はどうあるべきでしょうか?

加藤:MSFの活動規模は右肩上がりで拡大しています。一方で、国連の予算は削られ、それらが担っていた活動や分野が手付かずになってきています。MSFもいつまでも緊急医療だけに専念してはいられない状況です。

渡辺:エボラ出血熱やジカ熱といった感染症の流行はひとつの国で対処できる問題ではありません。グローバルヘルスとして国際的に取り組まなければならない。その中で民間の役割の重要度は増しています。

――民間の支援に支えられた援助活動が重要になると?

加藤:MSFは全資金の95%が民間からの寄付で、残りが公的な資金などですが、この際、公的資金をゼロにしてもいいのではないかという議論も出てきています。公的資金による活動は、拠出した政府の意向が出てきてしまい、国益にならない援助には手が回らず、省みられない危機に援助が届かなくなる恐れがあるからです。MSFは現在も公的資金の影響が及ばない比率を定め、それ以上を受け取らないようにしていますが、それをゼロまでもっていくという議論です。

渡辺:一方、民間収入では、収益事業か非収益事業かという議論がありますね。日本では資金調達のためのチャリティー・パーティーをやっても、税務署には収益は課税対象と見られてしまう。行政がフィランソロピーの足を引っ張っているような面があります。米国では、チャリティー・パーティーで小切手を切ると切ったほうも節税になる。日本じゃ、なかなかそうはいきませんね。

加藤:MSFも資金調達のチャネル、収益のソースを多様化するために尽力していますが、パイ全体が大きくならず、パイの食い合いになっています。他の非営利団体と組んで、制度や意識を変えていかなければならない必要性があります。

渡辺:ふるさと納税がうまくいっているのは見返りがあるから。そうでなければ故郷に寄付する人はそうは多くないはずです。社会制度として寄付をしやすい環境が必要なのです。

加藤:市民レベルの意識改革と、それによる政治的制度の変化が必要ですね。MSFに支援が集まればよしというのではありませんし。

MSFが不要になる日まで

――MSF日本が取るべき行動は。

加藤:渡辺さんが最初におっしゃっていた「強い意志」はまだ組織の中で存在していると思います。私自身が関わってきた15年間でもそう思いますし、驚くべきことだと思います。MSF日本は人間で言えば、もう立派な社会人である25歳なのだから、もっと主導権を持って活動を行ってもいい時期だと思います。日本人の特性、勤勉さや丁寧な仕事、25年培ってきた経験を駆使すれば主体的に物事を行っていけるはずです。これまでフランスから学んできた柔軟性も持ち合わせています。

渡辺:例えば、アフリカはフランスから見れば庭のような近い場所にあり、彼らのノウハウは決して真似できないものがあります。また、活動地域がどこであっても、日本1国だけでやるのは限界がありますし、ノウハウのある国々との連携なくしてはうまくいかないことが多いのではないでしょうか。

加藤:独り立ちした大人として他の国々と連携していくことが大事ですね。またもしMSFがひとつの成功例なのであれば、そのノウハウを他の援助団体と共有したいですね。他の援助機関とも同じテーマでもっと連携できると思います。それがある程度体力のある団体の責務ではないでしょうか。

渡辺:耐性菌の問題なども一緒に取り組んでいくべきテーマですね。感染症を媒介する蚊を撲滅するための活動でMSFとパスツール研究所は組んでいます。

――これからのお二人の挑戦は?

加藤:いつかMSFが不要な世の中になるために努力していくというのは究極の目標として、あとは損得勘定抜きの援助という日本社会の意識変革をすすめていきたいと思っています。そういった意識の面では、日本の社会は発展途上という認識をもってもらい、それを変えるために皆で考えていきたいと考えます。現時点で具体的な答えは見えてきませんが、大きな課題として僕のチャレンジだと思っています。

渡辺:私もフィランソロピーの意識を根付かせたいですね。あとは政府にもっと寄付をしやすい制度作りをお願いしたい。また、組織は寄付をもらうことを当たり前と思ってしまってはだめですね。寄付を頂いたら、その意義を考えて使用するのが当然ということでしょう。

――応援くださる皆さんと、MSFで活動したいと考えている人たちへのメッセージは。

加藤:ここまでMSF日本が成長できたのは私たちを信じて応援してくださった皆さんのおかげです。寄付者数だけでも言っても日本の450人に1人とういうのはすごいことで、皆さんの気持ちをそのままフィールドへ届けたいと常に思っています。

私が活動を続けるのは現状に対し「NO」という意思表示です。ご寄付も、世の中の不条理を正したいという意思表示だと思っています。MSFの海外派遣スタッフは、現地で活動し、現地に与えてきたものより、得たものの方が多いと口をそろえて言います。活動にはもっと多くの人に参加してほしいです。

欧州では、保護主義が台頭してきていますが、その一方で「私たちは一市民として助けたいから助けている」と、難民に手を差し伸べているごく普通の市民が大勢います。そういう人たちからまだまだ学ぶことは多いと思っています。

人道援助の原点は目の前でおぼれている人に手をさしのべるということ。これは万国共通であるはずです。

特集 MSF日本設立25周年

関連資料
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