2009年の総括─ご挨拶にかえて
緊急事態に対応し、予想のつかない不安定な状況の下で活動することを本領としている国境なき医師団(MSF)にとっては、一年として、同じように過ぎることはありません。言うまでもなく、いまも世界中で何千人ものスタッフが、医療を受けられない地域で医療援助を継続し、多くの命を奪う病気に対処し続けています。しかし、こうした継続的な医療援助活動の一方で、MSFは毎年、新しい課題に直面しています。
2つの懸念:HIV/エイズ対策の後退と人道援助に対する攻撃
2009年には、憂慮すべき2つの潮流が現れてきました。HIV/エイズ対策の資金拠出機関が、資金を削減する傾向にあること、そして治安にかかわる事件の急激な増加により、援助活動に影響が出ていることです。

マディ・オペイ国内避難民キャンプのHIV/エイズ検査・治療
施設でHIV陽性の少女と話す、MSFのカウンセラー。
2009年、私たちは、アフリカ8ヵ国におけるHIV/エイズ対策への資金供給の状況を精査し始めました。その結果、資金拠出機関が、当初は大々的に宣伝したHIV/エイズ対策資金増額の公約から後退している傾向が明らかに見られました。MSFが活動する地域では、治療のレベルや感染者の治療機会の有無に、明らかにそうした資金削減の影響が及びはじめています。HIVの感染率が高い国々の一部では、患者が診療所で治療開始を断られ、臨床医は命をつなぐ治療の割り当て制限を迫られるといった、とうてい受け入れがたい立場に置かれています。MSFは2010年を通じて、私的および公的な話し合いの場で、HIV/エイズ対策資金の後退が及ぼす深刻な状況を訴えていくつもりです。
MSFは紛争地域において、しばしば数少ない医療提供者の一つとして活動しています。しかし、治安の急激な悪化により、紛争地での医療援助が大きく妨げられています。2月には、パキスタンのスワート渓谷で、激しい戦闘の最中に負傷者を救急車で救助していたMSFのスタッフ2名が、命を落としました。他者の命と健康を守るための献身的な働きぶりで知られ、尊敬されていたナサール・アリとリアズ・アーマッドは、そのために、あってはならない悲劇的な犠牲を払うことになったのです。
2009年には、パキスタン、スーダン、ソマリア、チャドで、MSFのスタッフが拉致されました。幸いにも、これらスタッフは全員、無事に解放されました。しかしながら、人道援助従事者が暴力にさらされると、彼らが所属する援助団体は難しい問題に向き合うことになります。紛争の被害者のもとに赴くというMSFの決意は、それで減退するわけではなく、ますます高まっていますが、スタッフの命がここまで暴力に脅かされるような状況では、命を救う援助をどのように行えばよいか、常に慎重な判断を強いられます。
一般市民を犠牲にする紛争

戦争の体験から心的外傷後ストレス障害をわずらう子どもと
言葉を交わす精神科医。パレスチナのガザにて。
紛争はさまざまな形で被害者を出しつづけます。戦闘に直接巻き込まれた被害者に対しては、MSFの外科チームが援助や治療にあたります。また、紛争には隠れた被害者もいます。紛争とそれに続く大規模な避難は、多くの場合、すでに不安定になっている医療制度に壊滅的な影響をもたらし、結果として、妊産婦と乳幼児の死亡率の劇的な上昇や、病気が流行するきっかけになります。また、深い心の傷に苦しむ性暴力の被害者も、紛争の隠れた被害者です。その状況に緊急性を認め、MSFは多くの国々で、こうした被害者の治療にあたっています。
パレスチナ自治区における武力攻撃は、1300人の死者、5300人の負傷者、そして全人口が医療援助や救援活動に頼らざるをえない事態をもたらしました。MSFはすでに数年にわたってガザ地区で心理ケアを提供していたため、攻撃の開始前から現地で活動しているチームがいました。しかし一方で、MSFの外科チームは、再三にわたって現地入りを試みましたが、全員がガザ市に入ることを許されたのは攻撃が中止された後でした。ガザ地区では、空気でふくらませて使用するテント病院を2つ設置し、1月から7月にかけて500件以上の手術を行いました。他方、戦争の心理的な傷は、特に子どもにおいて深刻にみられました。そこで、MSFは診察やカウンセリングの充実を図るため、スタッフを増員、カウンセリングを受けた400人の新しい患者の半数以上が、12歳未満の子どもでした。
コンゴ民主共和国では、いまも続く紛争によって、ぼう大な援助ニーズが存在します。このため、MSFの活動の中でも最大規模の援助活動が毎年この国で展開されています。MSFはこの慢性的な医療上の緊急事態の真っただ中で、あらゆる医療活動を行っています。2009年には、53万件の診療を行い、65万人の子どもにはしかの予防接種を行い、北キブ州と南キブ州だけで5600人のレイプ被害者の治療にあたりました。
紛争が続くアフガニスタンにおいて、2009年は、2001年の戦争開始以来、もっとも多くの民間人が被害を受けた年でした。5人のスタッフが殺害された2004年から5年間、MSFは現地での活動を停止していましたが、2009年に医療援助を再開しました。首都カブールと南部のヘルマンド州では、紛争による負傷者の治療に焦点をあてることに先んじて、一般の人びとへの医療提供に取り組みました。また、パキスタンでは、スワート郡の紛争を逃れた約100万人の避難民が暮らすマルダンで、医療チームが拠点病院、診療所、移動診療を支援しました。
中立性、公平性、独立性をあらためて強調すべき時

スリランカ政府軍と反政府勢力「タミル・イーラム解放のトラ」
との戦闘終結後も、MSFはマニク農園避難民キャンプ前の
仮設病院で医療を提供。
紛争地帯に閉じ込められた人びとに医療を届けようとするMSFの取り組みは、政府の方針や決定によってしばしば制限を受けました。スーダンでは、2009年3月、オマル・アル=バシル大統領に対して国際刑事裁判所が戦争犯罪および人道に対する罪の容疑で逮捕状を発行した後、スーダン当局がダルフール地方で活動していたMSFの2つの支部を含む13の国際援助団体と、3つの現地団体を追放しました。その結果、ダルフールの人びとに食糧、飲料水、医療を提供することが極めて困難になりました。
このような政府の決定は、実質的に、MSFの活動のみならずダルフールの人びとのニーズが、政治的・司法的課題に対する取引材料にされていることを意味します。また、MSFは、「暴力にさらされている人びとに医療を届けるために、人道援助活動は政治的・司法的な圧力から独立していなければならない」という方針に基づき、国際刑事裁判所に対する一切の協力を控えるという立場を明白にしてきたにもかかわらず、そうした私たちの立場は無視されました。いま、私たちは、人道援助団体としてのその時々の選択を導く、中立性、公平性、独立性の原則について、以前にも増して、絶え間なく説明していかなくてはならないことを感じています。
紛争が頂点に達したスリランカでは、安全な地域に逃れようとした多くの一般市民が危機的な状況に置かれ、また、しばしば暴力によって危険な地域に閉じ込められました。医療機関の利用や援助を受けることも困難を極めました。多くの場合、ようやく援助や治療が受けられる場所に着くころには、人びとの健康はすでに深刻な状態に陥っていました。
感染症の流行、自然災害に対応する緊急援助
前述の紛争地帯における活動以外にも、私たちは幅広く援助活動を行いました。2009年は、大規模な集団予防接種を実施しました。特に、西アフリカにおける髄膜炎対策では、ナイジェリアとニジェールで800万人近い人びとに予防接種を行いました。また、年間を通じて、大規模な自然災害の被災地では、医療や心理ケアの援助に加え、仮住まいの提供などの救援活動も行いました。9月には、ブルキナファソの首都ワガドゥグで、1年間の降雨量に相当する雨がたった1日で降るなどして洪水が起こり、MSFは、家を失った15万人に援助を届けました。また、バングラデシュを襲ったサイクロン「アイラ」の被災者7万5000人、インドのアンドラプラデシュ州で起こった洪水の被災者6万人に対する援助活動も行いました。
HIV/エイズ、結核、顧みられない病気に取り組む
HIV/エイズと結核を抑制する取り組みも、以前と変わらず継続しています。2009年は、19万人以上のHIV感染者を治療し、約16万人が抗レトロウイルス薬(ARV)治療を受けました。これらの患者の多くはへき地に住み、医療を受けるお金もなく、通常は治療を受けられません。MSFは可能な限り、このように医療を受ける機会のない状況の改善に取り組み続けてきました。MSFは、感染の有無を調べる検査やカウンセリング、無償のARV治療を提供し、母子感染のリスクを低減し、自らもHIVに感染している患者たちの中から「エキスパート患者」を養成しました。「エキスパート患者」は、他の患者が治療薬の服用を続けられるよう、サポートします。このような取り組みにより、たとえばレソトだけでも5万4000件のHIV感染検査を行い、6000人の患者がARV治療を始めることができました。
HIV陽性の患者の主な死因となっている結核も、MSFが懸念を強めている病気です。続けることが困難な結核治療ですが、治療薬の服用を止めると、薬剤耐性菌の発生につながり、治療がさらに難しくなります。特に患者の免疫システムがHIVによってすでに低下している場合、危険はより高まります。MSFは、設備や人材の乏しい環境で、HIVと結核の治療を組み合わせることに力を尽くし、この傾向を押し戻そうと努めています。2009年、MSFは2万1000人以上の結核患者を治療しました。

シャーガス病の感染テストを受けるボリビアの少女。南米で
はシャーガス病が風土病となっている。
国際社会は、多くの顧みられない病気について、いまだに関心を向けていません。特に、アフリカ睡眠病、カラアザール、シャーガス病の3つは、5億人以上もの人びとが感染の危険にさらされたままです。この問題に対応するため、MSFは、2009年、「顧みられない病気のためのイニシアチブ」(DNDi: Drugs for Neglected diseases Initiative)との合同計画に、向こう6年間で1800万ユーロ(約19億9000万円)を投じ、これらの病気のより効果的な治療に向け開発が急がれる新薬の継続的な研究にあてることを決定しました。MSFはまた、治療薬の開発に必要な、実践上、臨床上の研究に、現地プログラムを通じて貢献を続けます。2009年、MSFは前述の3つの顧みられない病気に苦しむ患者、6000人以上を治療しました。
移民・難民のニーズに寄り添う

身の危険や極度の貧困から逃れるため、ソマリアやエチオ
ピアの難民がソマリアの港町を出航する。過酷な航海の後、
対岸のイエメンに上陸した人びと。
顧みられていない移民のニーズはMSFがもっとも憂慮する問題の一つです。移民は、危険と不安に満ちた旅路を経て、目的地に到着した時には、多くの場合、すでに健康が大きくむしばまれています。到着後は、過密な仮収容所に長期間収容されたり、身分を証明する書類を持たないために基礎的な医療を受けられないまま、当局の目から逃れるように暮らしたりしています。MSFは、そうした人びとに医療と心理ケアを無償で提供し、可能な場合は身分を保護し、また必要であれば現地の病院へ搬送しました。
MSFは移民に対し、移動過程のいくつかの段階で医療援助を行っています。ソマリア、アフガニスタン、コンゴ民主共和国、ナイジェリアといった移民の送出国では、暴力や貧困の結果、医療が必要となった人びとを治療しています。また、モロッコ、ギリシャ、マルタ、イタリア、フランスなどの到着地では、旅を生き延びた人びとに医療や心理ケアを提供しています。移民や亡命希望者の多くは、暴力や虐待にさらされ、監禁され、搾取され、あるいは密航業者や人身売買業者の犠牲になっているのです。
MSFはまた、ヨーロッパ以外の地域でも同じように、移民の援助を行っています。アフリカ大陸東端の「アフリカの角」と呼ばれる地域からの難民や亡命希望者の多くは、対岸のイエメンへの脱出を希望しています。しかし、過酷な航海や海上での事故により、何百人もの死者が出ています。また、かろうじてイエメンの海岸までたどり着いた人びとの多くも、健康を損ねています。2009年、イエメン南部のアビヤン州およびシャブワ州において、約9000人がMSFにより医療援助を受けました。
バングラデシュでは、隣国のミャンマーから逃れてきた何万人ものロヒンギャ難民が、日々かろうじて生活をしています。国境を越えてきた、推定40万人のロヒンギャ難民のうち、政府から正式に難民として認定され、その結果、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)から援助を受けることができているのは2万8000人のみです。MSFは、クトゥパロン仮設難民キャンプで過酷な生活を続けている2万人の未認定ロヒンギャ難民のために、緊急医療援助プログラムを開始しました。
ハイチ大地震がもたらしたもの

ハイチの大地震は、彼の父親が25年間かけて手作りで建て
た家も何もかもを破壊した。現在は家の隣に小屋を作り、
大地震を生き延びた家族が暮らしている。
この報告書の対象期間からは外れますが、2010年初頭、ハイチの多くの町を破壊し、多数の死者を出した壊滅的な大地震に対応するため、MSFは設立以来もっとも大規模な緊急援助活動を開始しました。最初の4ヵ月以内に、MSFは17万3000人の患者に医療援助を提供し、1万1000件以上の手術を行いました。
この悲劇的な事件によって、MSFも自らの限界に挑戦しました。世界の他の地域に住む人びとの健康と命を守る活動を完全に維持しつつ、このような大規模かつ急を要する緊急援助を、均衡をとりながら活動の中に位置づけていくことは非常に難しい作業でした。国際社会に対してHIV/エイズを抑制するための変わらぬ資金援助を訴える必要性や、人道援助従事者に対する暴力の増加に対する懸念に加え、ハイチの大地震は、2010年を方向づける出来事になるでしょう。
MSFを財政的に支える世界中の何百万人もの方々の継続的な支援は、医療援助を緊急に必要とする人びとに医療を提供し、また、政治的、軍事的あるいは経済的な課題からの介入を受けないために、MSFの活動を財政的に支える欠かせない力となっています。世界65ヵ国以上におけるMSFの活動を成り立たせてくださっている、すべての支援者の皆様に、深く感謝を申し上げます。
ありがとうございました。
MSFインターナショナル事務局長 クリス・トーゲソン
MSFインターナショナル会長(2007年7月1日 - 2010年6月30日) クリストフ・フルニエ医師














