2008年の総括─ご挨拶にかえて
はじめに -診療活動概要と活動例-

2008年5月12日に、中国・四川省を震源地にM7.8の大地震が
発生。MSFは中国赤十字と協力し、3800の家族用テントを提
供した。
2008年は国境なき医師団(MSF)にとって、大きな成果を収めると同時に、もどかしいことの多い一年でもありました。栄養失調の治療法の進歩によって、より多くの子どもの治療が可能となった一方で、紛争によって世界でも最も深刻な被害が起きている国や地域では、MSFが被害者の元に向かうこと自体が困難だった局面もありました。
この一年、MSFの援助活動従事者が65ヵ国以上の国々で行った診察の数は、およそ880万回、また4万7500回の外科手術を実施しました。また、100万人以上のマラリア患者の治療にあたるとともに、20万人以上の栄養失調児の治療を行いました。
ケニアで大統領選挙の結果を巡って年初に発生した暴動、ミャンマーのイラワジ川デルタ地帯のサイクロンによる甚大な被害、そして、ジンバブエでのコレラ大流行の際には、すでに援助体制の整っていたMSFの医療チームが迅速に人道援助活動を行いました。
具体的には、ケニアではエスカレートする暴力に対応するため、外科医、緊急内科医、看護師、ロジスティシャン(物資調達管理調整員)を増員するなどして現場の医療チームの強化。ミャンマーでは、サイクロン「ナルギス」で被災した地域の生存者たちへ、医療と心理・社会支援、仮設住宅、食糧などを提供しました。また、ジンバブエでコレラが大発生してから数ヵ月間、感染の広がった全地域で援助活動を行った団体は、MSFだけでした。
コンゴ民主共和国(以下「コンゴ」)では、東部で発生した戦闘で被害を受けた複数の町で緊急の診療活動を行うとともに、各地域で外科治療プログラムを立ち上げ、戦闘で負傷した人びとの治療にあたりました。また、コレラ治療センターを開設し、清潔な水や救援物資など生活必需品を避難民や地元住民に配布しました。
2008年に起こったこれらの緊急事態は、わずかながらもニュースとして世界へ伝えられました。一方で、この一年でMSFが実現できたことや残念ながらできなかったことは、一般に報道されることはほとんどありませんでした。これらの出来事を要約したり統計で表すことは困難ですが、ここで概略を紹介します。
武力衝突による犠牲者への医療援助

パキスタンのべシャワール地方に設置されたこのキャンプは、
当初、アフガニスタン人の難民キャンプだった。現在は、国
内避難民用に利用されている。
この1年、ソマリア、イラク、パキスタン、スーダン、パレスチナ自治区などでは、武力衝突による犠牲者への人道援助活動が困難を極めました。情勢不安、また時として意図的に張り巡らされる行政上の障壁がもたらす課題が多くありました。そして、紛争地域に取り残された、最も援助を必要とする市民に、独立した人道援助を届けるMSFの活動は、現地スタッフの力に大幅に頼ることとなりました。
アフリカ東部のソマリアでは、2008年の年明けにMSFスタッフ2人が拉致され、のちに解放される事件、1月には別の3人が殺害されるという非道な事件が起こりました。これによりMSFは医療プログラムの一時停止を余儀なくされ、暴力が充満する紛争下で、今後どのような援助活動を行うか再検討することとなりました。その結果、ソマリア人の現地スタッフが活動を継続し、銃弾や迫撃砲によって負傷した2300人の患者を治療、戦闘から避難してきた人びとが滞在するキャンプでは、急性栄養失調に苦しむ子ども1万人の栄養治療にあたりました。
イラクでは、紛争地域の周辺で、再建外科治療プログラムを立ち上げ、また国内の複数の病院で医療スタッフへの研修や医療物資を提供するなどの活動を続けました。
アフガニスタンで20年以上に渡り活動してきたMSFは、2004年に5人のスタッフが殺害された事件を受けて活動停止を余儀なくされましたが、2008年には、治安の悪化で被害を受けている人びとに医療を提供するため、国内での活動再開を模索し始めました。
隣国パキスタンでは、北西辺境州で起こっている戦闘から避難してきた約60万人の人びとが医療を受けられるよう、MSFが患者の搬送にあたっていました。しかし、紛争に関わる全勢力が独立した人道援助活動を認める状況をつくることは、今もって困難です。2009年初頭、一目でMSFだと判別できる救急車で移動していたスタッフ2人が殺害された事件をきっかけに、ここでの活動も一時凍結せざるをえませんでした。
アフリカ中央部のスーダンでは、行政上の障害の拡大や治安悪化のため、ダルフール地方やその他地域に暮らす最も援助が必要な人びとへの人道援助活動が妨げられました。例えば8月には、MSFスタッフが攻撃される事件が数回にわたって発生し、3万5000人の避難民が身を寄せる北ダルフールのタウィラと、2万8000人の避難民に診療を行っていたシャンギル・トバヤでのプログラムを中断し、一時退避することとなりました。たとえ数週間とはいえ、これ程多くの人びとを医療のないまま置き去りにすることは極めて耐え難いことです。しかし、人道援助活動従事者の最低限の安全が保障されない状況では、選択の余地はありませんでした。それでも、両地域において2008年に実施された診察は7万件にのぼりました。
12月には、イスラエル軍がパレスチナ自治区のガザ地区侵攻を開始しました。戦闘中、イスラエル軍が住民や救援物資の移動を制約したため、MSF医療チームの増員も困難を極めましたが、すでにガザ地区で活動していたチームが、負傷者の対応に追われる地元の病院の支援をただちに行いました。1月にイスラエル軍が停戦宣言を出し、ようやくMSF外科チームと21トンの物資(病院用テント2張りほか)がガザ地区に到着しました。これにより、MSFは専門的な外科手術や、術後ケア、理学療法などの医療活動に専念できるようになりました。
栄養失調や顧みられない病気への取り組み

エイズ患者のラオス人女性と9ヵ月の息子。彼女の夫はタイ
のバンコクへ出稼ぎ中に感染した。2008年、MSFはエイズ治
療プログラムを自主運営が可能となった現地スタッフに引き
継いだ。
2008年にMSFが重点的に取り組んだもう一つの課題は、栄養失調や顧みられない病気と闘うための新たな方法を見出すことでした。MSFはこの1年、子どもに必要な栄養が与えられるよう国際的な食糧援助の水準を向上させるべく、ロビー活動を行いました。
南アジア、アフリカのサヘル地域(サハラ砂漠南縁)、「アフリカの角」地域(アフリカ大陸東端部)など、栄養失調が重度かつ慢性化している地域では、家庭の多くが栄養価の高い食糧を買う経済的余裕がありません。しかし、国際援助機関から配布される食糧は主に穀物が中心で、大切な栄養素を含む動物性食品、例えば牛乳は含まれていません。2008年、MSFは栄養失調の子どもたちに動物性食品を提供できるよう尽力するとともに、世界中の子どもたちに広く適切な食糧援助が行き渡るよう、ロビー活動を行っています。
2008年の5月から8月にかけ、MSFはエチオピアにおいて大規模な栄養治療プログラムを立ち上げ、急性栄養失調、また中程度の栄養失調に苦しむ患者2万8000人を治療しました。
ニジェールでは、7月に行政当局が特定地域におけるMSFのプログラムを一時停止させる決定を下したことによって、人道援助活動も一時的に止まりました。ニジェール当局の決定は主に、これらの活動を国の医療システム下に再編するために、独立した医療・啓発活動に待ったをかけることを目的にしたものでした。しかしながらMSFは、ニジェールの現状から、この決定を早急すぎると判断し、当局との2ヵ月にわたる協議の末、栄養治療活動の一部を再開することができました。2008年、MSFは同国で中程度また重度の栄養失調を患う5歳未満児9万7600人の治療にあたりました。

顧みられない病気の一つ、内臓リーシュマニア(カラアザール)
は、症例の80%がインドに集中している。MSFは従来より服用
期間が短く、効果の高い治療薬の利用を進めている。
結核とHIV/エイズの二重感染が蔓延している南アフリカ共和国では、MSFはより多くの人びとが診療を受けられるよう一層の努力を重ねました。近年、HIV/エイズ感染率の高い国々において、結核のみの新規感染例も3倍以上に増加しています。推定では、世界中のHIV/エイズ患者の3分の1が結核に感染していますが、そのうち治療を受けたのはたった1%にすぎません。大部分の人びとが結核検査を受けておらず、また一般的な検査は1世紀以上も前に開発されたもので、大半が結核を検出できません。さらに、今日の結核療法はHIV/エイズ用の抗レトロウイルス薬(ARV)治療を受けている患者に適用することが困難です。MSFは各国政府や国際的な資金拠出者に対し、結核療法分野における研究開発、また新たな診断法と治療ツール開発への出資を繰り返し呼びかけています。致命的とはいえ、治療可能なこの疾病に取り組むためには、少なくとも現在投じられている資金の4倍が必要だとMSFは推定しています。
世界中で約190万人の子どもがHIV/エイズに感染していると推定されていますが、ARTの治療を受けているのは、約20万人のみです。つまり、10人のうち9人は、エイズから命を守るこの薬を得ることができないのです。MSFはこの事実を受け、既存の検査をさらに普及させ、エイズ治療薬として認可されている薬の小児用製剤の使用が大幅に拡大されるよう(注)、各国政府や資金拠出者に呼びかけています。これらの実現には各国政府と援助機関の協力が必要であり、MSFは今後もHIV/エイズの母子感染予防を含む包括的な治療活動を続けていく方針です。
(注)
米国食品医薬品局に認可された22種類のARV薬のうち、8種類は子どもへの使用が認められておらず、9種類は小児用製剤が製造されていない。存在する小児用製剤も水で溶いて使う粉末状かシロップ薬で、いずれも冷蔵する必要があるが、途上国では冷蔵設備を利用できないことが多い。
アフリカ睡眠病の治療では、2008年大きな前進がありました。具体的には、「顧みられない病気のためのイニシアティブ(DNDi: Drugs for Neglected Diseases initiative)」とMSF、エピセンター(MSFの付属機関。疫病関連の研究所)の協力のもと、比較的毒性が低く、投与もしやすい治療法NECT(ニフルチモクスとエフロルニチンの併用療法)が開発されました。現在、患者5万人のうちの大部分は僻地や政情不安定な地域に住んでおり、MSFはこの10日間集中治療法に大きな期待を寄せています。
世界規模の難民・移民への援助

アフリカからの移民や難民申請者への医療・心理ケアを目的
に設置されたマルタの診療所。その多くは紛争から逃れ、命
がけで海を渡る。診察時には、文化的な橋渡し役が同席する。
MSFは2008年も引き続き、多くの人びとが意図的に医療から排除されている問題に重点を置き、ヨーロッパ、中近東、アフリカで医療を必要とする難民や移民の援助に努めました。ヨーロッパの厳しい移民政策にも関わらず、避難場所、保護、そしてよりよい生活を求めて移住してくる人びとの波が絶えることはありません。これらの人びとが必要とする医療を提供するため、MSFは、マルタ、イタリア、ギリシャを含む多くの国々で緊急医療プログラムを行っています。また、南アフリカでも、主にジンバブエからの移民を対象に医療を提供しています。移住や避難は明らかに世界的な問題であり、2008年、MSFは37ヵ国において、移住を強いられた人びとへの援助活動を行いました。
2008年7月、MSFはスイスの最高裁判機関、連邦裁判所が下した判決に衝撃を受けました。この訴訟は、オランダ政府がMSFを相手取り、起こしたものです。2002年の8月、北コーカサス地方で当時MSFの活動責任者を務めていたオランダ国籍のアルヤン・エルケルが誘拐され、20ヵ月間にわたって拘束されるという事件が起きました。オランダ政府は被害者の解放にあたって身代金を支払いましたが、その後MSFに対し、この身代金を返済するよう求めていました。4年間に渡る訴訟の中で、一審、二審ともMSFの訴えを認める判決が下されていたにも関わらず、連邦裁判所はオランダ政府の訴えを一部認め、両当事者間で経済的負担を分担するように命じる判決を下しました。この決定は、独立した人道援助団体にとって、重大な先例となります。連邦裁判所は、オランダ政府の要求に応じて、人道援助活動従事者の誘拐という被害を商業的な争議と同じレベルで扱う判決を下しました。近年、人道援助活動従事者に対する犯罪が処罰免除となるケースが日常的と言えるほど増加していますが、この判決はその流れを助長するものです。
結び -感謝を込めて―

四川大地震時に、中国四川省德陽市に
つくられた基幹病院。負傷した患者の、
けがの程度を診るMSFの整形外科医。
2009年、MSFは引き続き、紛争で被害を受けた人びとや、医療を受けられない人びとに独立した緊急医療を提供するため、さまざまな障害に立ち向かっていく所存です。また、今後も栄養失調や感染症により効果的な治療法を模索し、活動地の状況にあわせた診療ツールを用意するとともに、自然災害に対して、より迅速かつ的確に対応できる体制を整えていく方針です。
370万人の個人をはじめとする何百万という支援者の方々のご支援と、日々の活動を可能にする数万人のMSFスタッフに、心からの感謝を表したいと思います。
MSFインターナショナル 事務局長 クリス・トーゲソン
MSFインターナショナル 会長 クリストフ・フルニエ医師














