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コンゴ民主共和国

活動の背景:武力紛争、風土病/伝染性疾患、社会的暴力/医療からの疎外
活動スタッフ:3084人

コンゴ民主共和国(DRC)における和平プロセスは、2006年11月にジョセフ・カビラが大統領に選出されたことにより最高潮に達した。広大なDRC国内にある程度の政治的安定が浸透し始めたが、50年にわたる流血の末にこの国は分断されており、医療ニーズは膨大である。国民の大多数は医療をほとんど、あるいは全く受けることができず、感染症が定期的に発生し、特にDRCの東部では、暴力が今なお人びとの生活に大きな影響を与えている。

全面的な紛争が公式に終結してから数年が経過したが、国境なき医師団(MSF)は現在も3千人以上のスタッフを維持し、またコンゴ緊急対応部(PUC)の運営をDRCの全土で継続している。MSFはルブンバシ、キサンガニ、キンシャサに拠点を置いてほぼどこへでも移動することができ、毎月約10件の医療上の警戒事項に対応している。

情勢が安定し、開発を重視する団体が定着できるようになるにつれ、MSFは活動の一部を縮小することが可能となっている。紛争の前線地帯であった南東部のカタンガ州にあるアンコロでは、暴力と感染症に苦しむ人びとへの医療提供を目的に、2002年に活動を開始した。アンコロの町が空爆にあった後、MSFは現地の病院を、機能を備えた搬送病院へと改修した。2007年1月に、ようやくMSFが活動を終えることが可能と判断できる状況になった。

2005年後半と2006年前半に発生した反政府勢力と政府軍との激しい戦闘はほとんど終結したが、MSFはカタンガ州における活動を継続している。同州東部のキルワ、シャムワナ、ドゥビエ、プウェトなどでは引き続き大規模な医療プログラムを行っている。2006年から2007年にかけて感染症が相次いで流行したことが、この地域の貧困を物語っている。2006年6月には、キコンジャで猛威をふるったコレラの流行に対応し、コレラ治療センター2ヵ所と治療ユニット14ヵ所を開設した。2007年1月から5月には、カブンドとディアンガでコレラとはしかの両方に対応して活動を行ない、5月と6月に起きたはしかの流行を受けて、ブカマ周辺では12万人、ニュンズでは3万7千人の子どもに予防接種を実施した。6月には、ムカンガとカセンガではしかに感染した子どもの治療も開始した。

これに先立つ2007年1月には、DRC東部のアディ保健区域で髄膜炎の流行が確認された。MSFは集団予防接種を開始し、52人編成のチームが、1週間で18の保健区域の住民8万人を対象に、2才から30才までの全員に予防接種を実施した。

健康にとっての深刻な脅威は、一過性の感染症だけではない。エイズの拡大は続いており、MSFはカタンガ州のキルワ、国内東部のブカブ、ドゥング、また首都キンシャサでも包括的なケアを引き続き提供している。2007年7月時点では、3千人以上が抗レトロウイルス(ARV)薬による治療を受けていた。

寄生虫を介して伝染する致死性のアフリカ睡眠病(アフリカトリパノソーマ症)など、他の病気も人びとの命を奪い続けている。2007年6月にMSFは、DRCの最北部にあり、アフリカ睡眠病が多く発生する地域である東部州のオー・ウエレ地方とバ・ウエレ地方において、この病気と闘う新しいプログラムを開始した。イサンギでは2004年以来この病気の治療プログラムを実施してきたが、同地域における発症例数を大幅に減少させることに成功したため、2007年にこのプログラムを終了した。

2006年11月、MSFはマニエマ州の北部に位置するルブツで新しいプログラムを開始した。同州北部では、2005年後半に調査を実施した際に死亡率が極めて高いことが判明していた。この地域はDRC東部における紛争と避難民発生による影響を間接的に受けており、未だに非常に孤立している。

DRC東部の南北キブ州では、依然として暴力が引きも切らない。2006年にMSFは3つの新しい緊急プログラムをリンゾ、カニャバヨンガ、ニャンザレで開始し、カイナとルチュルの搬送病院では、外科治療と二次医療を提供し、性的暴力の被害者の治療を継続した。MSFチームは保健省と協力して、2006年に1万2200人の緊急入院を受け入れ、2971件の外科治療と3500人の性的暴力の被害者の治療を行った。ルチュル病院ではMSFの外科医がひと月当たり約120件の手術を行ったが、このうち7%は銃弾による負傷や拷問による肉体的影響など、暴力と直接関連するものであった。

イトゥリ州の州都ブニアでは、MSFはボンマルシェ病院における活動を継続している。2006年に7病棟が建設されたため、収容人数が増え、患者たちはテントではなくしっかりとした建物内で治療を受けられるようになった。ボンマルシェ病院の目的は主として緊急医療と5才未満の幼児のケアであり、2006年には2万4千人以上が診療を受けた。約1万2千人近くの患者が入院し、約1万件の外科治療を行った。

この地域では暴力が大きな問題であり、MSFは医療と心理面での総合的なケアを提供している。この地区だけでもMSFが2006年に治療した性的暴力の被害者は2041人にのぼった。

MSFは1981年からコンゴ民主共和国での活動を行っている。

髄膜炎ベルトにおけるMSFの活動

髄膜炎は、髄膜炎ベルトとよばれるサハラ以南のアフリカ地域に多く発生し、西はセネガルから東はエチオピアに広がるこの地域では約3億人の人びとが危険に晒されている。髄膜炎は12月から1月にかけての乾期に流行し、髄膜炎ベルトでは周期的に発生する傾向がある。

髄膜炎菌性の髄膜炎は脳と脊髄を取り囲む膜である髄膜の感染症で、髄膜炎菌によって起こる。A, B, C, X, W135という数種の型があり、このうちのいくつかが感染症の原因となる。

髄膜炎は飛沫感染であるため、人の密集するところや窮屈な生活条件では感染が拡大しやすい。ほとんどの人は髄膜炎菌の無症状のキャリアとなり、全く健康な状態が続く。ところが髄膜炎菌が粘膜障壁を越えると、通例は発疹、けいれん、昏睡や高熱、頭痛、首のこりなどの髄膜炎の症状が表れる。

髄膜炎は治療を受けなければ患者の80%が命を落とすが、早期の診断と治療を受ければ死亡率は5・0%にまで減少する。生存者の5人に1人は神経的な後遺症や難聴に苦しむ。

一つの地域において、1週間に人口10万人当たり15例の発症、特別な状況では10例の発症が確認されると、髄膜炎の流行が宣言される。流行が確認されると、患者の最寄りの施設において医療従事者が臨床診断を行い、迅速かつ簡単な治療を施す。治療では抗生物質である油性クロラムフェニコール、またはセフトリアキソンの筋肉注射を1回行う。ほとんどの場合1回の注射で完全に回復するが、24時間たっても症状が改善しない場合は2回目の注射を行う。他の細菌が髄膜炎を引き起こしている可能性があるため、生後2ヵ月から2才の乳幼児に対しては、代替治療として1日1回のセフトリアキソン注射を5日間行う。

髄膜炎の感染例は過去数年にわたり少なかったが、2006年の流行期には、髄膜炎ベルトにおける感染例数が著しく増加した。この増加は今後新たに髄膜炎の波が始まる兆候であるかもしれない。2006年から2007年にかけて報告された髄膜炎の総症例数は5万例を超え、3万5千件を記録したその前年から大幅に増加している。

2006年から2007年にかけて髄膜炎が流行した時期に、MSFはブルキナファソ、チャド、スーダン、ウガンダ、DRCの5ヵ国において14回の流行に対応した。MSFは活動の中で、流行の初期調査、髄膜炎の型の特定、感染者の迅速な治療を確実に行うための症例管理の支援を行った。MSFはこの命に関わる病気が拡大するのを予防するために、大規模な集団予防接種にも協力した。MSFは合計で、髄膜炎の予防注射を約250万人に行い、1万500人の感染者を治療した。