絶え間なく変化する世界における緊急事態への挑戦
これまでの典型的なMSFの緊急援助活動といえば、紛争地域に隣接して設置されたキャンプで避難生活を送る難民、地理的に孤立した場所に取り残された栄養失調の子どもたち、コレラや髄膜炎の流行にさらされた住民、または周期的に起こる洪水や干ばつ、地震の被災者への援助だった。MSFは引き続き、スマトラ島沖地震・津波やニジェールの栄養失調、コンゴ民主共和国(DRC)でのコレラの流行など、援助を必要とする人びとの中でも最も苛酷な状況に置かれた人びとへの援助に焦点を当てていく。
人道医療援助団体として、危機的状況の中での緊急援助は常にMSFの活動の中心であり、その活動内容は医療面での援助に焦点を当てていた。経験を積み重ねていくことでMSFの技術的な対応能力も向上し、緊急を要する医療ニーズに対し、より適切な対応ができるようになった。地震に見舞われたパキスタンのマンセーラでは既存のインフラが崩壊していたため、MSFはエアドーム式の病院を開設した。これは緊急医療援助活動の進化を物語る一例であり、結果としてより水準の高い医療、外科処置、集中治療を提供できるようになった。
しかしこの種の緊急事態が続く一方で、活動の背景の性質や複雑化がMSFにさらに新たな試練を課している。世界の変化に伴い、国境なき医師団(MSF)の緊急事態への対応も変わりつつある。紛争は、これまでの国家間の戦争という形態から、他国の支援を受けたゲリラによる国内紛争へと形を変えつつある。このような紛争の根底では経済的な動機が主流となり、イデオロギー的動機や領土獲得という目的は例外的なものになりつつある。本来、保護されるべき存在であるはずの一般市民が、紛争の道具としてしばしば利用されるようになり、罠にはめられたり、標的にされるようになった。敵対する要素を排除する手段として、一般市民への暴力が頻繁に行われている。拉致や略奪は敵に対抗する兵力を得る上で一般的な戦略となり、ウガンダでは反政府組織「神の抵抗軍(LRA)」により2万人もの子どもが誘拐、徴兵された。
人道援助団体に対する認識の変化
このような状況の悪化に伴い、人道援助活動を尊重する意識が弱まっている。紛争当事者たちは、MSFが例えば栄養治療をしていると同時に紛争自体に介入していると考えるようになり、MSFが援助を提供しようとしている一般市民に対しても同じ見方をするようになった。多くの紛争当事者たちがさまざまな戦線に散在しているため、MSFの存在を周知させ、活動が行えるようになった地域でのスタッフの安全を確保するための交渉がますます難しくなっている。
これに加え、援助をビジネスとして行う援助団体・機関が増えている。このような団体の多くが、異なった価値観、目的、戦略を持っているために、MSFに対する人びとの認識をも混乱させてしまう。MSFは常に公平性・独立性などの活動原則を堅持することで、最も援助ニーズが大きい場所で安全を確保しながら活動を行うことができると信じてきた。しかしながら、援助活動従事者の多様化により、MSFと他団体との区別は、紛争当事者や被援助者にとって不明瞭になってきている。また、そのためにMSFの活動が、政治、さらには軍事活動の一部として誤って捉えられる危険も増えている。このために、MSFが最も援助を必要としている人びとの傍らで制約を受けずに活動する能力が制限されている。
国内避難民
また、人びとの避難パターンの変化とともに、援助が必要な人びとの元へ行くことが難しくなってきている。以前は、紛争から逃れようとする人びとは自ら安全な場所を目指して国境を越え、キャンプに集まって暮らしていた。特定の場所に人びとが集中し、避難によるストレスや厳しい環境下における人口過密のために、健康上のリスクが増加するというのがこれまでの状況だった。MSFは援助を必要とする人びとをはっきりと特定し、ニーズに基づく援助を迅速に提供するためのノウハウを身につけてきた。しかし今日、国内の都市部や小さな村々、野外に避難する人びとが増えているために、彼らの居場所さえも容易につかめず、ニーズの見極めや援助が困難になっている。たとえばコロンビアでは、長年の紛争のために2百万人以上が避難民となり、その多くが医療や心理ケアを必要としている。しかしながら、彼らは分散し、都市部に隠れていることもあり、MSFは援助を必要としている人びとを探し出し、さらに分散している人びとに向けたさまざまなプログラムを行う必要がある。
一方、近年の世界規模での発展が、援助ニーズやMSFの対応能力にも影響を与えている。欧米の多様で原理主義的な要素とイスラム過激派グループとの二極化が強まるにつれ、MSFなどの援助団体が、政治的繋がりに何かと結託しているという誤った非難を受けることなく、あらゆる人道上のニーズに対し独立した活動を行うことはますます難しくなり、安全面のリスクも増大している。援助従事者はどちらかに加担、あるいは命を落とすためにこのような状況の中に身を置いているのではなく、人びとの命を救うためにいる。世界の二極化がさらに進めば、緊急事態に対応する際にこのような障壁を克服することがますます困難になる。
中所得国での援助
人道上の危機の多くが中所得国で起こっているため、MSFの緊急援助活動はそれに順応することが求められるようになった。これまでMSFは、サハラ砂漠以南のアフリカで活動を行うことがほとんどだった。これらの国々ではインフラが崩壊しているために医療従事者がほとんどおらず、病気といえば、マラリアや下痢、その他多くの感染症など熱帯病が主だった。レバノンやイラクなどの中所得国では、能力の高いスタッフが十分におり、感染症の種類なども欧米のそれと変わらず、最も緊急を要するものといえば慢性疾患(心臓病、糖尿病、喘息、てんかん)などであるため、従来のMSFの緊急援助の方法を見直す必要があった。これらはMSFの医療方針や援助物資、手順の面で今後の準備が必要であろう。
これらの中所得国では、MSFは新たな戦略の上に立ち多様なパートナーシップを築きながら、補助的な役割を演じることが求められてきた。2006年夏のレバノンにおけるMSFの医療活動は、ある意味で異例のものだった。活動は充実した医療設備の中で行われ、物資供給の支援や、慢性疾患、なかでも腎臓病の治療を行った。今後もこのような方法での支援が求められるだろう。
自然災害から学ぶ
MSFは長年にわたり多くの自然災害に対応してきた。しかしこれらの緊急事態が、私たちの主な活動とはこれまで考えられていなかった。最も緊急性の高い援助ニーズは救助に関わるものであり、次に物資支援であるため、多くの場合MSFにその役割が求められることは少なかった。これらのニーズの大部分は、軍や国内の援助組織、そして現地の連携によって対応されるためである。2004年のスマトラ島沖地震・津波に対するスリランカの被災地での団結はすばらしいものであり、MSFがそこで活動する必要性は限られていた。同様に2005年10月に南アジアを襲った地震の際も、パキスタン軍の対応は非常に効率的なものだった。
このような状況においては、医療面のニーズがあったとしても、必ずしも大規模な医療援助に結びつくとは限らない。パキスタン地震は例外だった。遠隔地における小規模な建物の倒壊では、医療援助を必要とする負傷者が比較的多く、一方、死者はわずかだった。しかし普段はこのようなケースはあり得ない。地震などの自然災害の生存者は、負傷者は少ないものの、シェルター、水、衛生、食糧などを主に必要としている。MSFはこれらの援助を行うことはできるが、小規模なものであり、医療援助を支えるものとして行っている。
しかし将来、環境の悪化や気候の変化などの要因により、疫学的パターンに変化が生じたり、干ばつや洪水などの自然災害が増える可能性がある。これらの災害の発生を予測するのは困難だが、MSFは被災者に提供できるものを的確に掴み、今まで築いてきた力で対応できる準備をしておかなければならない。
自らの限界を受け入れつつも、活動の中核となる強みを発展させ続けることで、MSFはより適切な援助を提供できる。自然災害の初期段階においてより適切な支援ができる他団体が存在すること、救助段階の最初の数時間においては、MSFにない専門性や物資調達規模が必要とされていることは明らかである。MSFは、生存者に対する援助の段階に注力する方が適している。この段階での活動は他の状況での活動とも関連性があり、活動範囲を広げてMSFの専門性を弱めるかわりに、さらに高めていくことができる。MSFは緊急時の外科処置の能力に重点を置いており、他の専門医療分野の強化もしている。たとえば、地震や爆撃による建物の崩壊から生き残った人に多く見られる腎臓障害の一種、クラッシュ・シンドロームの治療のために、MSFは腎臓専門医を派遣するようにしている。密集した場所にいる避難民への心理ケアや栄養治療、感染症流行の監視なども、私たちの他の医療援助活動と合わせて行われている。これらは状況の変化に応じて更に発展させ、適応させていく必要のある分野である。
新たに現れた病気の治療
疫学的パターンの変化は、MSFにとって今後の最大の困難の一つである。近年アフリカの一部で見られるエボラなどのウイルス性出血熱の増加は、より高い専門性と文化に適応した対応を必要とするようになった。それまでは、文化的要素と求められる医療活動との間に生まれる複雑さのために、なかなかうまく機能しなかった。2005年、アンゴラでマールブルグ出血熱が流行した際、MSFのスタッフは防護服を着用する必要があったが、これは現地の人びとを怖がらせることとなった。また、この非常に感染力の強い病気の広がりを防ぐため、感染者を隔離しなければならなかった。隔離患者の多くが亡くなったため、MSFが隔離した人びとは死ぬという印象を持たれることになり、住民は患者を連れて来ることに消極的になった。このような誤解は、MSFの医療器具やアプローチがどう受け取られるか分からない状況において、文化的側面への気配りがいかに重要かを物語っている。
同様にDRCのイトゥリ地方でペストが流行した際の活動では、このような感染症に関して、感染の広がり方、さまざまな状況下(この場合は紛争により孤立した状況だった)での必要な治療についての理解を深める必要があることが明らかになった。鳥インフルエンザのように新たに現れた感染症については、専門性の高い対応が必要となる。MSFのすべての活動においてそうであるように、ここでも選択を迫られる。鳥インフルエンザの流行はこのジレンマをかつてないほど大きく浮き彫りにした。できるだけのことを可能な場所で行えるよう準備を整えておくことは重要ではあるものの、MSFがこのような感染症に対応できる能力には限界がある。
2005年は緊急事態への対応という点で、MSFにとって試練の年だった。スマトラ島沖地震・津波やニジェールの栄養失調、DRCでのコレラの流行など、MSFは最も援助を必要とする人びとに対する援助に焦点を当ててきた。こうした援助そのものは有用であり、今後の緊急事態に対応するため必要となる基盤を強化することにもつながったが、変化を続けるこの世界にやがて来るべき困難は、私たちにさらなる要求を突きつけることとなるだろう。MSFの挑戦は、最も援助の必要な人びとに対して医療面において可能な限りの援助が行えるよう、順応と進化を続けていくことである。














