• English
  • 한국어

RSS

ご寄付に関するお問い合わせ・資料請求は フリーダイヤル 0120-999-199

寄付する

スーダン

外国人派遣スタッフ 313人
現地スタッフ 6242人

スーダンは国境なき医師団(MSF)が最大規模の活動を展開している国であり、3百人以上の外国人派遣スタッフと6千人を超える現地スタッフが、30ヵ所以上で活動している。

2005年1月に北部のスーダン政府と南部の反政府武装勢力との間で締結された和平協定には大きな期待が寄せられていたが、2005年末になっても散発的な戦闘が後を絶たず、状況は一向に変わらない。このため、南部の自決権に関する住民投票が行われるまでの6年間、安定した状態は続かないのではないかという不安が高まっている。スーダン南部、東部、およびダルフール地方に至るまでの広い範囲で武力衝突が相次いでおり、住民に対する攻撃や暴力行為はここ3年にわたって激しさを増し、2百万人以上が家を追われている。

南部の各地で続く暴力

和平協定を受けて増大が期待されていた援助は、2006年7月時点でも低調であった。北部や周辺国のキャンプから帰還した数十万ものスーダン人が目にしたのは、帰還民の受け入れ態勢も交通システムも整っておらず、医療インフラも皆無に等しい祖国の現状であり、暴力も散発的に続いている。

2006年4月10日には、2005年には1万1千人の外来患者を治療したMSFの診療所があるウラン村が、武装した民兵の襲撃を受けた。患者と村人のほとんどはMSFのスタッフと共に安全のため避難した。31人が亡くなり、数十人が負傷したと報告されている。このうち15人は、近郊の町ナーシルにあるMSFの診療所で手当てを受けた。

暴力行為が続発し、安全が脅かされることから、MSFの外国人派遣スタッフはナーシル、ウディエ、ランキエン、ピエリの診療所からの一時撤退を強いられた。ピエリの診療所では、結核治療を受けていた120人を含む患者の大半が撤退を余儀なくされた。医療器具、医薬品、患者用の食料は略奪され、診療所は破壊された。2005年11月にも、武力衝突により西赤道州のタンブラ郡でアフリカ睡眠病治療プログラムを行うMSFチームが一時退避を余儀なくされた。

暴力が続くこのような状況において、医療を受けられないという状況はスーダン南部の人びとにとって最大の脅威となり続けている。医療施設がほとんどなく、内戦終結により行き来が可能になったにも関わらず交通システムが整備されていないため、医療へのアクセスは非常に困難となっている。これは人道援助活動を行う上でも大きな課題である。スーダンの多くの地域には空路でしかアクセスできないが、河川の氾濫が起こり上ナイル州の大半が湿地と化す雨季には、この選択肢も限られてしまう。

MSFは、バハル・エル・ガザル州のマリアル・ルーおよびアクエム、上ナイル州のレーおよびウディエなどの地域で一次医療を提供している。上ナイル州だけでも、2005年には6ヵ所で外来患者25万人に治療を行った。またMSFは、赤道州のカジョ・ケジでベッド数2百床の病院を運営しており、2006年前半には2百人のアフリカ睡眠病の患者に治療を行った。この病院は、スーダン南部でHIV/エイズ治療を実施している唯一の場所であり、2006年7月の時点で50人の患者が抗レトロウイルス(ARV)薬による治療を受けている。

2006年4月に、MSFはジョングレイ州のボーで新たなプログラムを開始した。ボーの町は内戦終結に伴い南部に帰還した数千人以上を受け入れることになったが、町で唯一の病院は損壊しており医療器具もほとんどないため、帰還民の流入に十分に対応できない。MSFはこの病院に設備の整った手術室を設置し、百人の入院患者を収容できる拠点病院にするための改修を行っている。

ボーから数百km東に位置するピボーの町では、MSFのチームが毎月5千件を超える診察を行った。新しい一次医療診療所の建設中にはテントで診察した。この診察件数には、ルクアングオレおよびグムルクでの小規模編成の医療チームによるアウトリーチ活動*も含む。これらの町は陸路でのアクセスが困難であり、雨季に河川が増水した場合はボートを使用せざるを得ない。いまだに北部と南部との間で争点になっているユニティー州において、MSFはベンティウの病院で活動しており、2005年には合計1万7125件の診察を行った。

ダルフール地方の膨大なニーズに対応

2004年、MSFはダルフール地方の人びとを援助するため、MSF史上最大規模での援助活動を開始した。2006年7月の時点では170人の外国人派遣スタッフと2600人を超えるスーダン人スタッフが18ヵ所を拠点に活動しており、医療ニーズは依然として膨大である。北ダルフール州では、2005年12月だけでも2万件近くの診察を行った。

人道援助従事者に対するおびただしい攻撃により、援助活動を展開し、援助を必要とする人びとに手を差し伸べることができないケースが大幅に増えている。停戦と和平協定にも関わらず、百万人以上が避難民キャンプに留まり、生き続けるために全面的に人道援助に依存している。そしてキャンプの周囲では、依然として暴力行為が頻発している。

このような例は枚挙に暇がない。2006年5月8日、南ダルフール州の州都ニヤラの北東にある町ムハジャリヤで、MSFの診療所に1台のトラックが到着した。MSFの看護師、リサ・ブレイカーはこう振り返る。「トラックは、診療所に向かってバックしてきました。トラックのドアが開き、荷台の防水シートがはためくと、負傷者がお互いに折り重なっているのが見えたのです。」

患者46人のうち30人が一般市民であり、その多くが腹部、肩、腕、足、そして胸部を撃たれ、緊急外科手術を必要としていた。患者のうち2人は撃たれた傷のために亡くなった。夫や子どもなど、家族の一員がどのように撃たれ、目の前で命を落としたかを説明する患者もいた。

ムハジャリヤのMSFチームは、2006年4月だけでも暴力による外傷に苦しむ127人の患者を入院させた。ベッド数35床の診療所では、治療を必要とする患者がたびたびベッド数を超える。

2006年春には、ダルフール地方中部のジェベルマラ山地で数々の新しいプログラムを開始した。MSFはルーゴおよびボウレイの2ヵ所の診療所で活動を開始し、カグロの拡張診療所への紹介制度を導入した。また、キリンとゴルニにも診療所を開設した。しかし7月には治安の悪化により退避を余儀なくされ、この地域へのアクセスも難しくなった。安全が確保できないことから、MSFはジェベルマラ山地におけるコレラの流行にも対応できなかった。人びとは山のなかで身動きがとれず、アクセスも難しいため、この地域における栄養失調の程度は悪化し始めている。

MSFはニエルティティでも病院を運営している。この町には約3千の住民がおり、その10倍もの人びとがジェベルマラ山地のふもとに避難している。この病院は2006年前半に1128人の患者を収容した。

約8万人の避難民が暮らすモルネイ・キャンプでは2004年から活動している。MSFが建設した診療所兼病院では、毎月平均4900件の診察を行っている。MSFは、シャンギルとシャダトの両キャンプやシャンギル・トバヤ村内で暮らす避難民にも医療サービスを提供していたが、安全を脅かす事件が発生したため、7月23日にこのプログラムのスタッフは退避した。

カルマ・キャンプは世界最大規模の避難民キャンプであり、MSFはここで一次医療診療所を運営し、毎週約千件の診察を行っている。また、女性医療センターも運営しており、性的暴力・性差に基づく暴力による被害者の治療を行っている。このプログラムを補うものとして、地域社会を対象としたアウトリーチ活動と、人びとが抱える深刻な心理社会的ストレスに対処するための心理ケアプログラムを実施している。

MSFは、カバカビヤやセリフ・ウムラなどの比較的安定した政府支配地域においても、10万人以上に一次医療、救急医療、および栄養治療を行っている。このうち半数以上が避難民である。

東部の取り残された人びとへの援助

スーダン東部の紅海州およびカッサラ州においても、散発的な戦闘がここ1年にわたって続いている。MSFはポート・スーダン郊外でタガドム病院を運営しており、主に近隣のスラム街からやってくる、社会から取り残された人びとに治療を行っている。この病院では、地域の避難民に対応するため設立した在宅医療ネットワークを整備しており、また妊産婦の医療ケアにも重点的に取り組んでいる。2006年半ばまでに実施された診察件数は、毎月5千件にのぼる。

ミゴマ孤児院における活動の引き継ぎ

ハルツームのミゴマ孤児院では2003年から活動を続けてきた。この孤児院における子どもの死亡率は当初0%という驚くべき高さであった。MSFは地元当局と協力し、施設の修復と、子どもたちへの精神面、医療面、栄養面でのケアを行った結果、孤児院内の平均死亡率は2.9%にまで低下した。MSFはこのプログラムを、2006年末までに現地の協力団体に引き継ぐ予定である。

ダルフール地方における人道援助の拡大を要求

ダルフールの避難民キャンプは依然として危機的な状況に置かれており、210万人が全面的に外部からの援助に依存しているといわれている。MSFは2006年5月、ダルフール危機に対する援助資金供与側の関心が低下していると警告を発した。世界食糧計画は資金不足のため食糧配給量の削減を余儀なくされ、栄養面の深刻な危機が避難民を脅かしている一方、飲用水の供給などの不可欠なサービスや病院への援助も、予算削減により影響を受けていた。

2006年7月時点では、国内各地で安全が脅かされる事件が続いており、MSFは一次撤退を繰り返すことを余儀なくされている。

MSFは1979年からスーダンで活動を行っている。

「人びとの健康状態は改善しておらず、医療援助を行っている団体は依然としてごくわずかです。MSFが活動する地域に住む多くのスーダン人にとって、生活は和平協定の締結前と同じくらい困難です。」

MSFの医療コーディネーター、クリストフ・ヒプフェン(スーダン南部)