ソマリア
外国人派遣スタッフ 41人
現地スタッフ 487人

「私たちは2つの病院で年間4万件を超える診察を行っていますが、それでもまだほんの一部のニーズを満たしているにすぎません。700kmも離れた場所から病院にやって来る人もいます。医療を受けられるところが他にないからです。ほとんどの地域で、医療を受けられる可能性は文字通りゼロなのです。」
MSFの活動責任者 コリン・マクリービー
2006年2月、ソマリア暫定連邦政府による議会が初めて開催された。開催場所について同意を得ることすら容易ではなかった。4月に首都モガディシオが崩壊し、全面的な内戦状態となったため、臨時の措置として暫定連邦政府は南部の都市バイドアにある食糧倉庫におかれた。
14年にわたる無政府状態の後、新たな政治指導者らは軍閥間の対立により引き裂かれた国の回復と、世界最低レベルにある保健状況の改善に取り組むこととなった。この取り組みは、2006年7月までにソマリアの中部と南部を広範囲にわたって支配したイスラム法廷連合の台頭により、さらに困難になっている。
ソマリアには実質上医療体制がない。人びとは臨時にできた民間の薬局や診療所を頼るほかないが、それも高額すぎてほとんどの人びとは利用することができない。無償で医療を提供しているのはMSFを含む援助団体だけである。しかし、予期しがたい暴力が頻発する中で、ソマリア中南部で活動する国際機関はほとんどなく、MSFもしばしば一時撤退を余儀なくされている。MSFは中部と南部において、モガディシオを含む7ヵ所で活動を行っている。ヤクシド地区の診療所はモガディシオ北部にある数少ない公的医療施設の一つであり、隣接地域から多くの患者を受け入れている。この診療所での診察件数は、一つの施設が受け入れられる件数をはるかに超えている。2005年には10万9千人の外来患者を受け入れ、7900人の産前・産後ケアの診察を行った。需要は25万人近くあるが、直接医療を受けられるのはヤクシド北部の15万人である。MSFは呼吸器感染症や腸内寄生虫などを抱える多数の患者の診療に加えて、この地域でてんかんや喘息などの慢性疾患の治療を提供している唯一の団体である。
シェベリ川中流地方では、MSFはジョハールとマハディの2つの地区において、6ヵ所の外来診療所を通じ、呼吸器感染症や皮膚疾患などの多くの患者の治療をはじめとする基礎医療を提供している。2006年、MSFはこの地域で生後6ヵ月から15才の子ども3万6340人を対象にはしかの集団予防接種を実施した。ヤクシド北部では5万4897人の子どもに予防接種を行った。
2005年から2006年にかけて起こった深刻な干ばつにより、大量の家畜が死滅し、南部では水や食糧の備蓄が不足するなど、事態はさらに悪化している。ディンソールにあるMSFが運営する病院では、2006年初めに移動診療を新たに開始するためにチームを増強した。また、集中栄養治療センターでは2006年の上半期に、2005年の10倍にあたる600人以上の重度の栄養失調児を治療した。ソマリアでは「通常」の年でも栄養失調が慢性的な問題となっている。ガルカイヨ、マラレ、バコール、ガルグドゥード、ディンソールにおけるMSFのプログラムは栄養治療を含んでおり、年間を通して子どもたちに治療を提供している。
2006年、干ばつのニュースは世界に伝えられたものの、同国の保健事情については相変わらずほとんど関心が向けられなかった。ソマリアではカラアザール(内臓リーシュマニア症)や結核などの感染症が猛威を振るっており、2006年前半にバコールだけでもカラアザールの患者543人が入院した。その多くが5才未満の子どもだった。
2006年の初め、MSFはガルグドゥード地方のドゥーサマレブとグリ・エルで新たなプログラムを開始した。同地方の中心地であるドゥーサマレブでは、1991年に前政府が崩壊して以来、町の病院は機能していなかった。グリ・エルのイスタルリン病院では、ごく基本的な医薬品や医療機器さえなく、わずかに残った職員は無給状態で訓練も受けていなかった。MSFの支援を受けた2つの病院では、2006年半ばまでには合わせてひと月あたり3千人近くの患者を治療するようになった。患者は自動車事故や銃による負傷者、激しい内戦が原因で心に傷を受けた人、また、手榴弾をおもちゃと間違えて負傷した子どもたちなどである。
MSFは1991年からソマリアで活動を行っている。














