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レバノン

外国人派遣スタッフ 0人
現地スタッフ 44人

2006年7月、激化するレバノンのイスラム教シーア派民兵組織「ヒズボラ」とイスラエル軍との戦いに人びとは巻き込まれた。紛争は続き、爆撃も受ける中、数十万の人びとが自宅から避難し、多くが保健医療などの基本的ニーズを満たすこともままならない状態になった。

MSFの最初のチームがレバノンに入国したのは紛争が勃発した1週間後だった。MSFはベイルート、サイダ、スール、ジェジン、ナバティエ、アレイ地方に避難した数十万人に対し、医療、飲料水、衛生施設などの緊急援助を提供することに焦点を当てた。
また、国境を超えてシリアへ避難したレバノン人に対しても援助を行った。MSFは国内の6万人以上の避難民とシリアへ避難した3500人に対し、調理器具、衛生キット、マットレス、毛布、粉ミルク、テントなどの救援物資を提供した。また、紛争で心に傷を負った人びとを支援するため、心理ケアも提供した。

現地の医療スタッフがこの危機に対処することができている一方で、医療物資、特に腎臓病などの慢性疾患に用いる医薬品が不足し始めた。MSFは必要物資の調達を支援し、医療器具、医薬品、外科キット、衛生器具や貯水タンクといった支援物資など、300トンを超える救援物資をレバノンに送った。またチームは、現地の医療スタッフと協力し、移動診療を立ち上げた。

困難なアクセス

イスラエル軍はレバノン空域・海上の封鎖を行い、複数の橋と主要道路を空爆した。MSFは安全な海路を確保し、グリーンピースと協力して「虹の戦士」号でキプロスからベイルートへ75トンの必要物資を輸送した。

空爆が続いたため、特に南部において援助を必要とする人びとへのアクセスが困難になった。レバノン南部においてリタニ川に掛かる最後の橋が爆破されると、MSFチームは大規模な人の鎖をつくり、4トンの物資を手渡しで対岸まで運んだ。トラック、ワゴン車、救急車、乗用車はたびたび爆撃の標的にされ、陸路での輸送は極めて危険かつ困難となった。MSFは、移動が制限されているためにアクセスが不足していることについて声明を発表した。そして人道支援が停滞することは到底受け入れられないとし、あらゆる手段を使って援助を必要とする人びとの元にいく意志があることを繰り返し主張した。

停戦

8月14日に停戦が発効し、避難民の大部分は数日内に家へと戻っていった。この段階でMSFは、紛争により孤立していた地域における援助ニーズを調査した。調査の結果、最初にレバノン南部とベカー渓谷において医療面と物資面からの援助が行われた。

紛争中・紛争後に現地の医療スタッフと医療施設が主要な医療ニーズに応えていたため、MSFはそれを支援する役割を果たした。
緊急段階が過ぎると、他の組織も復興支援を行うために到着し始めたため、MSFは活動を終了した。MSFは引き続き状況を注意深く見守る。

MSFは1980年年代から、途中中断期間を挟みつつ、レバノンで活動を行っている。