ノーベル平和賞

人道主義は、政治の失敗に対して市民が出した“答え”

人道主義が登場するのは、ある政治が失敗したとき、または危機的状況に置かれたときでしょう。しかし私たちの活動は政治責任を引き受けることではなく、失敗から起きる非人間的な苦悩をまず和らげることなのです。活動は政治の影響を受けてはなりません。そして政治は人道主義の存在を保証する責任を自覚しなければなりません。

人道援助活動が行われるには枠組みが必要です。紛争の際には、今延べた枠組みとは人道的な国際法のこととなります。法によって犠牲者や人道援助団体の権利を確立し、権利の尊重を保障する国の責任を定め、戦争犯罪として法を犯した場合の制裁規定を定めるのです。今日、この枠組みが機能していないのは明らかです。紛争下の犠牲者のもとへ行こうとすると許可されないことがしばしばです。人道援助が戦争の道具として交戦中の勢力に利用されることもあります。そしてもっと深刻なことには、国際社会によって人道援助活動が軍事活動化されつつあるのです。

枠組みが機能しないこういった状況下では、私たちは声を大にして政治家たちの自覚を促します。責任逃れはできないことをわからせるのです。人道主義は戦争を終わらせ、平和を築く道具ではありません。人道主義は政治の失敗に対する市民の答えなのです。短期的に即実行されるものですが、長期的に求められる政治責任を消し去ることはできません。

“ことば”によって責任の所在を明らかにする

ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争で難民となった人びと(1995年)

そして私たちの拒否の倫理は、政治におけるいかなる倫理上の怠慢や不正についても、その意味が浄化されたり清められたりすることを許しません。1992年、ボスニア・ヘルツェゴビナでの人権侵害。1994年、ルワンダでの大量虐殺。1997年、ザイールでの大虐殺。そして1999年、チェチェンでは今なお市民が攻撃されています。これらの事実は「複雑な人道上の緊急事態」とか「国内治安危機」などと表現したところで覆い隠せませんし、どんな婉曲的な言い方をしても――例えば「でたらめで政治的に定まりのない事件」のようなものですが――不可能でしょう。ことばには意味を確定する力があります。ことばは問題の輪郭をなぞり、対応、権利、すなわち責任の所在を明確にします。ことばを使えば、医療で対応したり、人道的な対処をしたりすることが適切かどうか、はっきりわかるのです。政治的対応が不適切かどうか、ことばでわかるのです。レイプ、強姦を「複雑な女性的緊急事態」などという人はいないでしょう。レイプはレイプであり、大量虐殺は大量虐殺なのです。そしてこのいずれもが犯罪です。国境なき医師団にとっての人道援助活動とは、苦痛を和らげる方法を探す、自治を回復する道を見つける、不正の真実を証言する、そして政治責任を強く求めるということです。

市民社会のメンバーとして、意志と独立性を保つ

援助活動について兵士と議論するMSFスタッフ(1999年)

国境なき医師団は真空空間ではなく人びとを秩序の中に入れたり締め出したりする社会で活動しようとしています。肯定したり否定したり、攻撃したり守ったりする社会なのです。私たちの日常の活動はいわば闘いであり、医療に関するものが多く、個人的なことに終始します。国境なき医師団は形式を重んじる団体ではなく、今後もどう考えてもそうならないでしょう。国境なき医師団は市民社会の団体です。今日、市民社会は新しくグローバルな役割を持ちました。市民社会の動きや世論の支持に根ざした、形式にとらわれない正当性をうち出すことです。これは社会に見られる成熟した意向、例えば人権や環境問題、人道活動、そしてもちろん公平な通商を行うための活動につながっていきます。戦闘や暴力だけが関心事なのではありません。市民社会のメンバーとして、はっきりした意志と独立性を保ちながら、私たちは私たちの役割と力を維持していこうと思います。

市民社会で活動するものとして、私たちは国家や国の制度、権力に関わった存在です。しかし同時に民間のものとも関わっています。国家のとるべき最終的な責任とは、排除ではなく包含し、公益と個々の利益とのバランスをとり、社会秩序を確実にするところにあります。一方、私たちの存在は国家の責任を肩代わりするものではありません。正義や安全を保障するため、人道的な弁明を用いて国家の責任を覆い隠すものではありません。国家と一緒になって悲惨な状況を生み出すつもりもありません。市民社会がある問題を認識したとします。市民がすることは解決策を出すことではなく、国家が問題を具体的かつ適切に解決してくれることを期待することなのです。問題を解決できるのは国家だけなのですから。

市場経済にひそむ欠陥が次の課題に

今日、市場経済が広がりを見せる中で、私たちの前に立ちはだかる不公平は拡大するばかりです。死者や伝染病患者の90%が発展途上国の人々であり、彼らがエイズや結核、睡眠病やその他の熱帯病で死亡するのは、命を救うのに欠くことのできない薬品が高価すぎる、すなわち財政的な問題で手に入らない、あるいは、本来優先的に行われる必要がある熱帯病に関する研究や開発が実際には行われていないためです。市場にひそむこの欠陥が、私たちが次に挑む相手です。しかしこの挑戦は私たちだけの課題ではありません。各国政府も、国際機構も、製薬業界も、他のNGOも、この不正に立ち向かうべきなのです。市民社会で活動する私たちが求めるものは変化であって慈善ではないのです。