歴史
| 2007年 | インド | 2006年12月にスイスの製薬会社ノバルティス社がインド政府を相手取り、同国特許法について異議を申し立てる。インドはジェネリック薬の主要な生産国であり、この訴訟の結果によっては安価な医薬品へのアクセスが閉ざされる恐れがあることから、MSFは訴訟の取り下げを求める署名運動を行う。8月7日にノバルティス社が敗訴するまでに、42万人以上の署名を集める。 |
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| 中央アフリカ共和国 | 6月11日に、同国北西部で調査を行っていた外国人派遣スタッフが殺害される事件が発生し、北西部での移動診療活動を停止する。 | |
| 洪水、地震 | アフリカ東部、南アジア、メキシコなど世界の各地で洪水の被害が多発し、医療や水・衛生状態の改善、救援物資の配布、心理ケアを提供する。またペルー、インドネシア・スマトラ島沖では大地震が発生。被災者のなかでも援助の手の届きにくい人びとを主な対象として活動を行う。 | |
| 栄養治療 | MSFは栄養治療キャンペーンを開始し、そのまま食べられる栄養治療食(RUF)を用いた栄養失調の治療手法の世界的な拡大を国際社会に訴える。 | |
| 2006年 | スーダン・ ダルフール |
MSFは国連食糧計画(WFP)が同地方の避難民への食糧配給を削減する決定を受けて、この影響を懸念する声明を発表する。また、2006年にはスタッフの安全に関わる暴力的な事件が40件以上発生し、ジュベルマラ地域ではほとんどの援助プログラムの閉鎖、あるいは縮小を余儀なくされる。 |
| レバノン | イスラエル軍がレバノンに侵攻、紛争が勃発したことを受け、レバノンおよびシリアの9地域で外国人派遣スタッフ37人、現地スタッフ63人が救援物資の提供、医療活動などを行う。8月14日の停戦成立後には、帰還民およびレバノン南部の戦闘地域に取り残されていた人々への援助を活動の中心とし、合計でレバノンでは6万人以上、シリアでは3500人以上が援助物資を受け取る。 | |
| ソマリア | 15年にわたり内戦状態にあるソマリアで、MSFはガルグドゥード地方において病院の支援・外来治療のプログラムを開始する。また、11月には同国南部のジュバ川流域で洪水が発生し、MSFは清潔な水、医療ケア、栄養治療を提供する。イスラム法廷会議と暫定政府の大規模な戦闘のために12月には外国人派遣スタッフが一時撤退するが、現地スタッフがプログラムを継続した。 | |
| 2005年 | アジア | インドネシア・スマトラ島沖で発生した地震に続き、インド洋沿岸諸国を津波が襲う。MSFは緊急調査を行った後、スマトラ島北部とスリランカの沿岸部を中心に医療、援助物資の提供、心理面のサポート、水・衛生環境の整備などを開始する。1月末までに200人以上の外国人派遣スタッフ、2千トンの物資が送られる。 |
| ニジェール | 前年から懸念されていた食糧不足で、大規模な飢餓が発生。国内各地に50を越える治療施設を新設し、2005年だけで6万人以上の栄養失調児の治療を行う。また国際社会にも訴え対応を促す。 | |
| パキスタン | 10月20日、パキスタン北部カシミール地方で大地震が発生。倒壊した病院を支援して、数多くの負傷者の治療を行う。また家を失った人々、交通が寸断され孤立した地域の人々への大規模な援助物資・医療の提供をおこなう。 | |
| 2004年 | イラン | 前年12月に地震に見舞われたバムの内外で、緊急援助活動を行う。3ヶ月間でおよそ9千件の診療を実施し、トイレやシャワーなどの衛生設備を整えるほか、地震で心に傷を負った人々に心理ケアを提供する。 |
| アフガニスタン | 6月2日、バドギス州でMSFのスタッフ5人が襲撃を受け、殺害される。MSFはアフガニスタンでの24年間の活動に終止符を打ち、撤退することを決定する。 | |
| スーダン | ダルフール地方で内戦が続き、およそ180万人が国の内外で避難生活を強いられる。MSFは同地方および隣国チャドで医療援助を展開するとともに、一般市民に対する激しい暴力、国際的な人道援助の不足などの事実を強く訴える。 | |
| 2003年 | イラク | バグダッドが米英軍の攻撃を受ける間も現地に留まり、病院の支援活動を続ける。 |
| コンゴ 民主共和国 |
紛争が続くイトゥリ地方の各地で、MSFは避難民への医療援助を続ける。 | |
| リベリア | 首都モンロビアでの激しい市街戦の間、MSFは負傷者の治療を続ける。 | |
| 2002年 | 日本 | MSF日本は、認定特定非営利活動法人(認定NPO法人)として、国税庁の認定を受ける。 |
| アンゴラ | 27年間続いた内戦が終結し、戦闘地域だった場所を中心とする広い範囲で50万人が飢餓の危機にさらされていることが判明する。200人を超す外国人派遣スタッフと2千人を超すアンゴラ人スタッフが、40ヶ所に栄養治療センターを開設して治療にあたる。 | |
| コンゴ共和国 | 1998年から2000年にかけての内戦以来、女性や少女に対する性的暴力が蔓延する。MSFは被害者の治療、心理ケア、社会・経済的支援を行う。 | |
| コロンビア | 紛争、暴力、経済危機などにより、人々が医療を受けることはますます困難になる。MSFは国内避難民や貧しい人々が暮らす地域を訪れ、診療を提供する。 | |
| ダゲスタン | 8月12日、北コーカサスにおける活動責任者アルヤン・エルケルが誘拐される。 | |
| 2001年 | インド | 1月、グジャラート州で大規模な地震が発生する。MSFは70以上の村々を回って、テントや毛布などの物資を配り、飲料水の提供を行う。 |
| アフガニスタン | 英米軍による攻撃の間、各地の病院、診療所での活動はアフガニスタン人スタッフによって維持される。タリバン政権の崩壊後は外国人派遣スタッフが戻り、各地で大規模な活動を展開する。 | |
| HIV/エイズ | 抗レトロウイルス薬(ARV)によるエイズ患者の治療をマラウイ、タイ、南アフリカなど8ヶ国で開始する。 | |
| 2000年 | チェチェン | グルジアやイングーシに避難したチェチェン難民の支援を行う。戦闘が続くチェチェン国内では、医薬品や医療物資などを首都グロズヌイの医療施設に提供する。 |
| パレスチナ | 第2次インティファーダが始まり、医療援助の需要が増す。MSFは心理ケアの提供をヨルダン川西岸地区とガザ地区で開始する。 | |
| エチオピア | オガデン地方で食糧危機が深刻化するなか、集中栄養治療センターを開設して治療にあたるとともに、はしかの予防接種を実施し、避難民に物資を提供する。 | |
| 1999年 | コソボ | アルバニア、マケドニア、モンテネグロなどに逃れたコソボ難民を支援する。停戦後は、帰還した難民が厳しい冬を越せるよう、住宅の再建プログラムを始める。 |
| 東ティモール | 分離・独立を問う8月の国民投票後、住民の虐殺が始まり、MSFも撤退を余儀なくされる。9月29日には現地に戻り、避難先から帰還した人々への医療の提供を始める。 | |
| 必須医薬品 キャンペーン |
本来治療が可能な感染症で毎年数百万人が命を落としていく事態を前に、貧しい人々が治療薬を手に入れられるようにすることを目的とする「必須医薬品キャンペーン」を開始する。 | |
| ノーベル 平和賞受賞 |
28年間の人道援助活動が評価され、MSFはこの年のノーベル平和賞を受賞する。 | |
| 日本 | MSF日本支部は特定非営利活動法人(NPO法人)となる。 | |
| 1998年 | シエラレオネ | シエラレオネ政府軍と西アフリカ諸国平和維持軍とのあいだで戦闘が生じ、MSFは負傷者を治療する。5月には、東部のコノ地方で住民に対してはたらかれていた、手足の切断などの残虐行為を告発する報告書を発表する。 |
| 1997年 | コンゴ 民主共和国 |
MSFはルワンダ難民の救援を試みるが、多数の難民が虐殺や病気により命を落とす。MSFは、ルワンダ難民のおかれた状況、権利の侵害を告発する報告書を発表する。 |
| アフガニスタン | タリバン政権は、カブールの病院で女性が医療を受けることを禁止する。MSFは、この差別的な保健政策を告発する。 | |
| 日本 | 東京の事務局は、一支部として独立した組織となる。 | |
| 1996年 | チェチェン | ロシアとの紛争が続くチェチェン国内、および周辺国のチェチェン難民キャンプで援助活動を行う。 |
| ナイジェリア | 20世紀最大規模の髄膜炎の流行に対し、300万人に予防接種を実施する。 | |
| ザイール | ルワンダ難民キャンプが襲撃を受け、80万人がルワンダに戻る。一方で、医療施設のない森の奥深くへと逃げる人も数十万人にのぼる。彼らの救援には非常な困難がともなう。 | |
| 1995年 | 日本 | 阪神淡路大震災の発生を受け、水や毛布などの物資を提供する。無料診療所を開設し、診察および薬の提供を行う。 |
| ルワンダ | キベホの国内避難民キャンプで虐殺が続いている事実および、ルワンダの刑務所における非人道的な状況を証言し、MSFフランス支部は国外退去を強いられる。 | |
| ボスニア | 7月、国連の保護下におかれていたスレブレニッツアがセルビア人勢力の攻撃を受け、7千人が虐殺される。MSFは現場を目撃した唯一の証言者となる。 | |
| 北朝鮮 | 洪水の被害を受け、北朝鮮政府はその歴史上初めて、国際社会に支援を要請する。MSFは、被災地で援助活動を開始する。これを契機に保健センターや病院への医療物資の提供も開始するが、独立した活動が認められなかったため、1998年に撤退する。 | |
| 1994年 | ボスニア | セルビア人勢力によりゴラジュデが包囲、爆撃される間も活動を続ける。包領内でゴラジュデ住民の惨状を目撃した外国人は、赤十字国際委員会とMSFのスタッフのみだった。 |
| ルワンダ | 4月6日、ツチ族およびフツ族の穏健派の大虐殺が始まり、数週間で50万人から100万人が犠牲になる。MSFはその歴史上で初めて、国際的な軍事介入を求める。ザイール、タンザニアの難民キャンプで援助活動を行うが、キャンプが虐殺の首謀者によって支配されている事態を重く見て、12月には活動を停止する。 | |
| 1993年 | ソマリア | MSFは、国連が派遣した平和執行部隊の介入方法が人道的原則に反していることを告発する。スタッフの安全を確保することができなくなったため、ソマリア国内での活動を停止する。 |
| ブルンジ | クーデタの後に虐殺が続き、多数の難民・避難民が発生する。数週間の内に180人のスタッフが、ルワンダ、タンザニアに逃れた60万人およびブルンジ国内で避難している人々への緊急援助活動を展開する。 | |
| ナンセン賞 受賞 |
難民への援助活動が評価され、ナンセン賞を受賞する。 | |
| 1992年 | ソマリア | 内戦と飢餓により、壊滅的な被害がもたらされる。MSFは活動の規模を拡大するとともに、国際世論に訴える。 |
| ボスニア・ ヘルツェゴビナ |
イスラム系の住民に対して行われている「民族浄化」を告発する報告書を発表する。 | |
| 日本 | 日本に事務局が開設される。 | |
| 1991年 | クルド難民 | 湾岸戦争とそれに続く内乱で難民となったクルド人への援助活動を開始する。イラク北部、トルコ、イランに特別機57機、物資2千トン、外国人派遣スタッフ150人が送られ、過去最大の規模の活動となる。 |
| ユーゴスラビア | 戦闘地域での援助活動を展開する。 | |
| 1990年 | リベリア | 内戦のなか、紛争に巻き込まれた人々へ救急医療を提供する。 MSFインターナショナル:支部間の調整を行う「MSFインターナショナル」が発足する。 |
| 1989年 | アルメニア | 地震による被災者の救援活動を行う。ルーマニア:東欧で初の援助活動を開始する。 |
| 1988年 | スーダン | 南部の内戦が激化し、南コルドファン地方で飢餓が発生する。MSFは援助活動を展開するとともに、危機の深刻さ、援助の不足について国際世論に訴える。 |
| 1987年 | フランス | 国内で、医療を受けられないでいる人々への支援活動を開始する。 |
| 1985年 | エチオピア | 人道援助物資の横流しや住民の強制移住が行われていることを告発したため、国外退去を強いられる。 |
| 1984年 | エチオピア | 飢餓に直面した人々への大規模な栄養補給プログラムを実施する。 |
| 1980年 | タイ・ カンボジア |
クメール・ルージュの支配するカンボジアに留まっている人々に食糧、医療、薬を届けるため、「カンボジアの生存のための行進」を行う。 |
| アフガニスタン | ソ連侵攻下のアフガニスタンで援助活動を開始する。 | |
| ベルギー | MSFベルギー支部が設立される。その後、オランダ、スペインなどのヨーロッパ諸国に支部が設立され、組織の国際化が進む。 | |
| 1979年 | 分裂 | 援助の方法をめぐって意見が対立、メンバーの一部がMSFを離れる。 |
| 1978年 | アフリカ | 西サハラ、ジブチ、スーダン、ザイールなどの難民キャンプで援助活動を開始する。 |
| 1976年 | レバノン | 内戦が激化するなか、56人の医師・看護師がベイルートの病院で医療援助を続ける。7ヶ月間で5千人の負傷者を治療する。紛争地における初の援助活動となる。 |
| タイ | ベトナム、ラオス、カンボジアからの難民に対する援助活動を開始する。 | |
| 1974年 | ホンジュラス | ハリケーン「フィフィ」の被災地で、初の長期援助を行う。 |
| 1972年 | ニカラグア | 地震の発生を受けて、初の緊急援助を行う。 |
| 1971年 | 国境なき医師団の創設 | ナイジェリアのビアフラ内戦から間もない1971年12月20日、フランス人の医師・ジャーナリストからなるグループにより「国境なき医師団(MSF)」が創設される。 |




