ケニア:MSFのエルドレットにおける活動状況と人びとの証言−最も弱い立場におかれた避難民の将来に募る不安−
情報発信日 2008年01月18日
1月2日、看護師とロジスティシャン(物資調達管理調整員)各1名を含む国境なき医師団(MSF)のチームはケニアの首都ナイロビから北西250kmに位置するエルドレットの町に向かった。2007年末から大統領選挙の結果を巡って暴動が発生し、多くの避難民がこの町に殺到したため、MSFは緊急援助活動を開始した。現在、状況は落ち着きを見せているが、最も貧しい避難民たちは自分たちの将来について不安を募らせている。
*人びとの証言はこちら
ムワニアは以前にもここに避難した経験がある。1992年に起きた衝突の間、彼は安全を求めて、まさにこの場所、エルドレットのランガス警察署に避難した。衝突が収束して自分の村に戻ると、家は無事に残っていた。彼は語る。「今度は帰るところがありません。家も家財道具もすべて焼かれてしまったのです。」孫も含めて総勢10人の彼の家族の将来は定かでない。差し当たり、警察署の周囲にできた避難民キャンプに留まることにしているが、その先どうなるかは誰にもわからない。
2007年12月27日に実施された大統領選挙の結果を受けて発生した暴動の衝撃は大きかった。この国は、多くの民家が放火され略奪され、数千人が避難民となり600人を超える死者が出た暴動で今も揺れている。沈静化に向かっているようには見えても、状況は依然として予断を許さない。多くの人びとが避難してきているケニア第5の都市エルドレットで活動しているMSFチームは、状況がここ数日で急速に変化するのを目の当たりにした。避難民キャンプには、ほんの数日前には数百世帯がひしめいていたのに、多くの人びとが帰還を決めたため現在では無人となっている所もあれば、未だに混雑している所もある。キャンプ内の環境には大きな差がある。数は少ないが、家に危険が迫った段階で避難したために財産のほとんどを何とか持ち出せた人びとのキャンプは、よく整備されている。人びとの住む小屋は、自転車、衣類、毛布、食糧、バケツなどでいっぱいである。しかし家を焼かれて逃げてきた人びとのキャンプには何もない。
しかし、現在も避難民の集落やキャンプで生活している多くの人びとには1つの共通点がある。当分は去るつもりがないという点だ。MSFのエルドレットにおけるコーディネーター、ピエールルイジ・テスタは説明する。「現在エルドレットにいる避難民は、最も脆弱な立場にある人びとの一部です。恐怖や貧しさのために家に戻ることができない人も多いのですが、大多数は、帰るべき家を失ったためにここに留まる他ないのです。」
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| ランガス・キャンプの様子 |
誰もが苦しい目にあい、誰もが脅えている。ランガス・キャンプで暮らすマイナは語る。「先日、近くの家が偶然火事になりました。すると、皆がやみくもに逃げ出したのです。」このキャンプ内の臨時診療所で働くMSFのケニア人看護師、アルビナ・アルダが行った診察でも心理的外傷は明らかだという。「頭が痛い、あそこが痛い、ここが痛いと訴えてくる人が大勢います。私たちは「ここ、ここ症候群」と呼んでいます。皆自分の体を指して「ここやここが痛む」と言いますが、その痛みは、実際には肉体的なものというよりは、心理的なものなのです。」
この数週間の出来事によるショックは残っているものの、エルドレットにおける医療ニーズは緊急のものではない。国内情勢がこのまま落ち着きを見せるようであれば、MSFは活動を段階的に縮小する方針である。既に他にも多数の援助団体がエルドレット内外で活動し始めており、その多くは避難民の長期的なニーズを満たすのにより適している。暴動が最も激しかった時には閉鎖していたか、あるいはスタッフの不足から活動が制限されていた診療所や病院も再開しつつあり、人びとの医療ニーズに応じることができると思われる。MSFはエルドレットの状況を監視し続けるが、より援助の必要性が高いモロ周辺の農村部など、より遠隔地での活動に主力を注ぐ予定である。
エルドレットの避難民による証言
「帰りたい。家は焼かれてしまったが」
「自分の村が攻撃され、焼き払われたのでここに来ました。すべてを失いました。持ち出せたのは、夫と子どもたちのマットレスだけでした。この教会に避難してきて、今日で12日になります。夫は最初の数日間は一緒にいましたが、ここには毛布がないので近くの兄弟のところに移りました。毎日会いに来てくれていましたが、一昨日から顔を見ていません。長女の具合が悪く、熱があり、数日前から発疹ができています。」ジュディス
「両親はまだ村に残っていますが、家を燃やすと脅されたため、私は娘を連れて妹と逃げてきました。大人数のグループで、徒歩でここまで来ました。今は、そのうち10人がこのテントで暮らしています。家が完全に焼き払われ、今では焼け野原のようになっているので、戻ることはできません。焼け野原になっています。いずれにせよ、暴徒たちがまだ村にいるので戻るのは危険すぎます。私はどうしたらいいのか分かりません。これから厳しい生活が始まります。何もないところから始めなければならないのですから。」クリスティーヌ
「ここは安全なので避難してきました。実は、前回の1992年の暴動のときにもここに逃れてきました。今回の方が状況は厳しいです。前回は家を焼かれませんでしたが、今度はすべてを失ってしまいました。ここには車に乗せてもらい、家族とともに逃げてきました。家は焼かれましたが、帰って新しい家を建てたいです。いつか帰れることを願っています。」ムワニア
「ここでの生活は厳しいけれど、少なくとも安全です。暴徒が男の人たちに暴力を振るい、私たちを脅すので村から逃げてきました。今ここでは同じ村から来た15人が暮らしています。警察は自宅にお金や持ち物を取りに行く、あるいは希望すればそのまま家に留まる人を連れて行ってくれます。でも、私たちは戻る気になれません。祖父は、危険すぎると言っています。もし戻れば、暴徒が家を取り囲み、私たちが中にいる間に火をつけるだろうと。」マーガレット
「暴力が起きた後、多くの人びとが顔見知りの私の家にやって来ました。彼らは食糧や避難場所を求めていました。もちろん提供したかったのですが、私に十分なことはできませんでした。ここなら人びとが安全に過ごせると思い、避難民キャンプの1つであるランガス警察署に来たところ、あまりにも大勢の人がいるのを見て、彼らを助けなければと思いました。
日中は、多くの人びとが何か持ち出せるものはないかと村へ戻るため、キャンプはそれほど混み合いません。夜になると、寝るために皆が戻ってきます。診療所では、寒い中屋外で寝ているために感染症にかかった大勢の子どもたちを目にします。衛生環境が整っていないために、下痢や嘔吐をする子どももいます。
背中をナタで切りつけられた12才くらいの少年も目にしました。私たちは、診療所で傷口を応急手当し、病院に移送しました。家族とはぐれた男の子もいました。戦闘の間に逃げたため、現在家族の行方が分からないのです。
多くの人びとが深い心の傷を負っています。頭が痛い、あそこが痛い、ここが痛いと訴えてくる人が大勢います。私たちは「ここ、ここ症候群」と呼んでいます。皆自分の体を指して「ここ」「ここが痛む」と言いますが、その痛みは、実際には肉体的なものというよりは、心理的なものなのです。」MSFのケニア人看護師、アルビナ・アルダ
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